未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

キャンプと言えば黄色

今週のお題「キャンプ」

 

キャンプの思い出と言うと45年以上前、家族で行った海辺のキャンプですね。

 

毎年7月の最終週の土日がキャンプの日。

 

当時、父親は半ドン、土曜午前中は勤務という勤務体系で午後から出掛けました。途中、近所の氷問屋で巨大な氷の塊を買ってクーラーボックスに。ジュースやビール、スイカや桃などを詰めたら改めて出発。国道136号線に入り、伊豆半島を南下。修善寺を超えて天城の手前で西方向へ。うねうねと曲がった船原峠の道で車酔いと戦いながら西伊豆土肥へ。家を出て1時間半。今は野球場になってますが、土肥八木沢のキャンプ場が定宿というか、お馴染みのキャンプ場でした。

 

到着したら、早速テント張り。そのころは黄色の三角テント。布は強度を上げるために固く、厚く、重く、ペグ(杭)も頑強な太いものでした。一つ張るのに大人数人で30分以上かかった記憶がありますね。また、どのテントもほぼ同じデザインだったので、他のテントと間違えないようにロープ部分にタオルを巻きつけたりしてました。

まだ、小さかったのでテント張りを手伝うがほとんど戦力にはなっていません。しかし、なんとなく達成感がありました。その後は汗を流すということで、歩いて2分もかからない海水浴場でひと泳ぎ。その後の青いソーダアイスが美味しかったですね。

 

夕食は飯盒炊飯とカレー。我が家は毎週土曜はカレーの日だったのでいつもと同じなのですが、外で食べるカレーはなんか美味しかったですね。残ったご飯は明日の朝食のために梅入りまたはおかか入りのおむすびにして、クーラーボックスに。当時はコンビニや朝早く営業するスーパーはなく朝食の確保が難しかったので、そんなことをしてましたね。

 

夜は海岸で花火。手持ちの一般的なものから始めて、ねずみ花火、ドラゴン、パラシュート、大人の背丈まで火柱があがる筒型で派手なフィナーレ。そしてしんみりと線香花火で締めくくる。その後はキンキンに冷えたデザートのスイカ、桃、ブドウ(当時はデラウェア一択)を頬張る至福の時でした。

 

その施設には風呂や温水シャワーもなく、そのまま睡眠。1970年代半ばくらいは夜になると潮風もあり、エアコンがないテントでも良く寝れましたね。朝方はむしろ、肌寒いくらいでした。

 

朝、食事をしたら、早速テントの回収。張る時より楽ですが思いテントをたたむのは一苦労。そして、汗をかいたらそのまま海水浴。そして、昼前に出発し、途中どこかで食事をして、遠藤わさび店でわさび漬けを買うというのが定番コースでした。

 

この我が家の定番キャンプもテント張りが面倒になって、小学校高学年のころには民宿宿泊に変わったけど、その時の思い出が強く残っていて、未だにキャンプというとあの時のテントとカレーの黄色のイメージですね。

(Picture By Pixabay

妻恋神社、神田明神、湯島聖堂を歩く

湯島散歩の続き。

 

湯島天神から鳥居の前の道を南に500mくらい進み、清水坂と交差する左手の小道に「吉夢(よいゆめ)」と「妻戀(恋)神社」と書かれた提灯がありました。

こちらが妻恋神社です。

昔、日本武尊東京湾上で暴風雨にあったとき、同船していた妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が身代わりとして海神(わだつみ)を鎮めるために海に身を投じたおかげで、無事房総に上陸でき、東国(関東)を平定したという伝説があります。その帰路で妻を思い現在の群馬と長野との県境にある鳥居峠で平定した東国の方を向き「吾妻者耶(あづまはや)・・・」と嘆いたとか。その故事からそのあたりは嬬恋村となり、東国平定のときに野営地とした湯島に弟橘媛の霊を鎮めるために建てた神社がこの妻恋神社の始まりだそうです。ちなみに東を「あずま」と呼ぶのはここから来ているという説もあるそうで。

また、神社の公式ページによると湯島は「聖なる水際の地」という意味があるともいわれ、水が豊富で稲作が盛ん。そんなことから稲荷神社も建てられたそうだ。

こちらの絵馬は日本武尊、そして背後にうっすらと妻の弟橘媛が描かれていますね。

そして、さらに清水坂を南下すると中山道と交差。そこから東に進むとあるのが「神田明神」 江戸三大祭りで一番注目度の高い神田祭でお馴染みの神田明神です。(神田祭はこちらの古い記事参照。)

鳥居の左脇にあるのは甘酒の天野屋さん。創業は1846年の老舗です。

こちらは隨神門。50年近く前の1975年に再建。鮮やかな朱が特徴ですね。

こちらが御神殿。神田明神のご祭神は三体。一之宮は大己貴命(おおなむちのみこと、大国主おおくにぬし)=大黒様、二之宮は少彦名命(すくなひこなのみこと)=恵比寿様、三之宮は平将門命。将門というと大手町の将門塚を思い出しますがこちらで供養、管理しているみたいです。

神社としてはそれほど大きくないのですが、神田や日本橋などの氏神様。この日は12月26日と正月前の日曜ですが多くの人が参拝していました。

狛犬のデザインがちょっと尖っていますね。

絵馬は因幡の白兎をモチーフにした大己貴命。この他、恵比寿様デザインもあります。

お次は中山道を横断した南にある湯島聖堂。こちらの前身は中学の日本史で習う徳川五代将軍綱吉が建てた「昌平坂学問所

こちらは大成殿。

こちらの建物の特徴は屋根に乗った鴟尾(しび)。通常、頭が虎で尾が魚の龍頭魚尾だがここでは頭が龍でしかも水を噴き上げている鬼犾頭(きぎんとう)という珍しい物。

また、屋根の下の方には鬼龍子(きりゅうし)。狛犬ならぬ狛猫でしょうか。

こちらに祀られているのは孔子孟子など中国の高名な思想家たち。学問の神として人々に崇められ、湯島天神同様ここにも多くの合格祈願の絵馬があります。

個人的には20代の頃、湯島天神湯島聖堂は同じものだと勘違いしていて、ここにくるとちょっと苦い感じが思い出されますね。

こちらは孔子像。

また、本郷通りを挟んで以前の記事で紹介した東京医科歯科大学の敷地には近代教育発祥の地の看板があったりします。

このそばの橋は北に湯島の聖堂、南に写真中央に見えるニコライ堂ということで、聖橋という名になったとか。そして、ここを渡ると御茶ノ水駅ですね。

 

スマイル0円でも、それにかかる費用は0円ではないだろう

アメリカのファーストフードやスーパーマーケットでブスッとした表情で働くオバサンをよく見かけた。その時は他の客に対しても同じだったので別にアジア人の自分を見て差別でそんな顔をしたわけではなく、また、日本人と表情の作り方が違っていて不愛想に見えたわけではない。実際、その店員たちの知り合いが挨拶したりすると、すごくいい笑顔で返事をしたりしているので。

 

某ファーストフードのスマイル0円をうたっているが、日本ではそのチェーン以外のファーストフードやスーパー、コンビニ、いろんなジャンルの店員が愛想良く笑ってくれ、普段は何とも思わないがアメリカから帰国した直後はそんな店員を見て、日本に戻って来た実感を感じたりする。

 

では、アメリカ人の店員がみんな不愛想かというとそんなことはない。高級百貨店やホテルなどでは笑顔で快く受け入れてくれることが多かったりする。これはやはり給料の差なのかも。あくまでも個人的な推測だが、ファーストフードやスーパーマーケットの店員の給料は他の職種に比べると低く、その給料には愛想よく笑うということも労働のひとつであり、それは労働契約に含まれていないということではないかと。

 

日本人は協調性を大事にする国民性で、人とやりとりをする販売員の笑顔はある意味必須アイテムかもしれませんが、体調が悪いときや心が沈んでいる時も笑顔を続けるというのは結構大変だと思います。しかし、割り箸やビニール袋はコストだけど、雇った人間は「タダ」ということから、スマイルもかかる費用は「タダ」だろうと勘違いしている経営者や管理職も多いみたいです。

 

確かに「笑う」ことはほぼ全員ができるスキルであり、モノを運んだり、穴を掘ったりするほどの体力を提供するわけではないが、精神力は結構使うと思います。つまり、スマイルも労働の一部、つまり賃金に対する対価の一部と言っても良いと思います。

 

だから、高い賃金を払っている高級百貨店やホテルの店員が問い合わせ対応、支払い、梱包などの作業に加え、スマイルも提供するのは賃金の対価として適切で、低い賃金の店員が最低限の作業をこなしているだけで十分とも言えたりします。

 

なお、スマイルにお金を払うほどの価値はないという人に限って、不愛想な店員に不満を持ったりしてそうですが、スマイルがないことで不満を持つということは裏を返せばスマイルに価値があるということです。そんな単純なことですが、意外と気が付かないあ人が多そうですね。

 

 



 

老人福祉センターの大広間でレッドツェッペリン

学生時代、祖母がごみ焼却の廃熱を利用した大浴場と大広間がある老人福祉センターへ一時期良く行ってました。市の運営で無料。しかも送迎バスも無料ということで、老人っていいなぁとちょっと憧れていました。

しかし、老人と言っても当時、祖母は60代。自分もあと10年もしないうちに60代となるがそのときそのセンターを使うとを考えると、風呂はいいが、祖母から話を聞いていた大広間で演歌カラオケ大会や民謡で踊るとかは絶対イヤですね。

自分の親世代の後期高齢者組はグループサウンズフォークソングなど新しい潮流がでてきたがまだ演歌が根強い時代で、特に年齢を重ねることで歌いやすい演歌が支持されやすいとう土壌がありますが、既に老人福祉センターを利用できる60代前半にとっては演歌はちょっとという感じでしょうね。個人的にも津軽海峡冬景色、北国の春、さざんかの宿とか小中学生の頃、大ヒットした演歌は懐かしく感じますが、演歌ばっかり流れているのはうんざりするでしょうね。

と、そんなことを考えるきっかけになったのは、このニュース記事です。

withnews.jp

ブリティッシュロックを大音量。レッドツェッペリンとは尖ってますね。

老人福祉センターは60歳から利用できるけど、80歳以上の人とは親子ほど年が離れているので音楽の嗜好も大きく変わってきますね。60代だと平日働いている人も多いので土日にこのような企画を行ったというアイデアはなるほどですね。

次の催しは「世界のYAZAWA」みたいですが、自分たちくらいの世代だったら「BOØWY」かな。

音楽以外にも、曜日によって年代や趣味を限定して、オリジナルのガンガム映画三部作、冬のソナタ全話、2020ワールドカップサッカーでの日本戦、F1アイルトンセナとプロストの勝負記録とかの映像大会も良いかもしれませんね。


 

今週のお題「おすすめブログ紹介」

おすすめブログ紹介

こちらのsoul jemさんのブログは西日本エリアを中心にアニメ聖地巡礼の報告ブログです。写真が豊富でアニメの実際のシーンに合わせたフレームの写真をアップしているのがスゴイですね。(自分だと、だいたいこんな感じかなと撮影して、後で後悔するパターンばかり) あと、どれも作品への愛を感じるのが読んでいて好感が持てます。それにしても毎回、多くの場所を回っていますが、おそらく2、3日くらいのなので事前調査はかなり気合入れてやっているんでしょうね。アニメ聖地巡礼に興味がある方は是非見てください。

souljem.hateblo.jp

旧岩崎邸庭園と湯島天神

今回の出発地点は東京メトロ千代田線の湯島駅です。

湯島と言うと湯島天神ですが、地上に上ると100m先に見えるのはこちらの池。

上野の不忍池ですね。湯島と上野って意外と近いんですね。

前回上野に来た時もそうでしたが今回も枯れた蓮の池でした。

この後、訪ねたのは不忍池のすぐ西にある旧岩崎邸庭園

ここは三菱財閥の祖、岩崎弥太郎の長男 久弥の本邸だった場所です。

こちらの洋館を設計したのは鹿鳴館の設計者でもあるジョサイア・コンドル鹿鳴館同様、大財閥である岩崎家を訪ねてくる外国人や政府要人も多かったので、当時としては最大限の贅を尽くしたかなり立派な洋館だったようですね。

装飾も細部にわたり良く作られてることがわかりますね。写真撮影できませんが館内も調度品は豪華でした。舞踏会を開くような広さではないですが、ここで海外からのVIP来賓を迎えたディナー会が行われたんでしょうね。

そして洋館の裏側で和館と繋がっていて、こちらは日本式の庭園が整備されています。ここは主に居住空間だったようですね。

洋館の南側は久弥が留学していたアメリカ ペンシルヴァニアのカントリーハウスをイメージしたそうです。陽光をいっぱい受けるテラスは冬でも明るそうですね。

東側も全面に大きなガラス窓があり、温室のように暖かったと想像できますね。

こちらは離れの別棟。スイス の山小屋をイメージしているとか。

ここは撞球室、つまりビリヤード場ですね。先ほどの洋館とは地下通路で繋がっていて、肩の凝る食事会をこっそり抜けだして、ここでリラックスしたたかも。このテーブルはビリヤード台ではないと思いますが、ここで要人たちと球を撞きながら、ときには国家予算規模のビジネス企画を語ったりしてかもしれませんね。

不忍池から西に延びる切通坂を上ると

湯島天神への階段があります。こちらは裏側になりますね。

都内では有名な神社ですが、結構こじんまりしています。

改めて、表の銅鳥居から見るとこんな感じ。小さいけど風格はあります。

そして、このときは受験シーズン前の12月下旬の日曜日ということで多くの人が合格祈願のお守りや絵馬を購入するために並んでいました。

絵馬もこの通り満員状態。

こちらも満員状態。流石、受験生に人気が高い神社ですね。

絵馬のデザインは菅原道真と牛です。

もちろん、天神様恒例の「触れる」牛もいます。

しかも二頭います。こちらはちょっと羊感がありますが。

また、天神様と言えば梅ですが、ここの白梅は「切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ」というセリフで有名な泉鏡花の小説「婦系図(おんなけいず)」にでてきます。境内には泉鏡花の筆塚があったりしますね。

(つづく)

ポケモンのために早起きする

一時期はまっていたのが「ポケモンGO」ですね。

ポケモンGOは知っている人も多いですが、改めて説明するとスマホGPSを使った位置ゲーム。画面は現実の地図をベースにした世界。

地図上には写真のような「ポケストップ」が点々と表示されます。これはあくまでも画面上で、実際その場所にこれがあるのではなく、お地蔵さんだったり、彫像や壁画だったりと公共の道路を歩いていれば見つけられるモノが選定されています。その近くに実際に行って画面上で真ん中の丸い部分をフリック(左右になぞる)操作で回すと、木の実やポケボール等のアイテムがゲットできます。そして、フィールドにいるポケモンを見つけたら、ポケボールを投げて捕まえます。捕まえたポケモンは自分のコレクションに加えることができます。

ポケモンはそれ以外にも同じ種類のポケモンを決まった数だけ集めて進化させたり、ポケストップからもらえるタマゴを決められた距離だけ歩くとタマゴが孵(かえ)ってゲットできます。歩く距離はタマゴによって異なり、2km,5km,10kmの3種類。このとき、速度が10km/hを超えるとゲームが遊べなくなり、距離もカウントされないのがポイント。1日1回の訪問でしかアイテムがもらえないポケストップをたくさん回るだけならば自動車や電車などを使う方法もありますが、ゆっくり走る自転車はOKですがあくまでも自分の足で稼ぐ必要があるという点が、健康促進に役立つスマホゲームということで子供や若い世代だけでなく、シニアなど幅広い世代に支持された理由のひとつです。

 

そして、もうひとつ面白い要素としては「ジム」の存在です。各ユーザーはゲーム開始時に自分が属するチームを青、赤、黄色のチームから選びます。

ジムはポケストップ同様に各地に点在していて、近くへ行くと自分の集めたポケモンを1体置くことができ、そのときジムが空ならばジムの色が自分のチームカラーになります。この後、そのジムには同じ色のチームの別の人がポケモンを置くことができ、最大6体まで置けます。

既に自分のチームと違う色の場合でも、自分の持つ6体のポケモンとバトルして全てのポケモンを倒せばジムは一度空になり、この直後に自分のポケモンを置くことができます。そんな感じでジムにポケモンを置くと10分につき1ポケコインがゲットできます。このポケコインを集めるといろんなアイテムがゲットできるので、自分と同じ色かつ奪取した直後で空きがあるジムをスマホ上で見つけたら必死になってその場所に行ってポケモンを置くというのが、このゲームの楽しさでもありましたね。

一方、置いたポケモンは攻撃を受けるとHP(体力)が減りますが、木の実等をあげることで回復します。自宅がジムに近い人(数10メートル?)は攻撃を受けると即座に木の実をあげて回復させていましたが、自分みたいに近くにない場合は攻撃を自転車を飛ばして応戦したりしてましたね、

なお、ここで得られるコインは1ジム1日最大50コインなので8時間20分以上経過すると回復などの防衛は行わず、別の人に明け渡すというのが暗黙のルールでした。だから早朝はチャンスで夏は6:00前に起きて、近所のジムに行ってはバトルしてました。特にちょっと小高い丘にあるジムは穴場で朝からいい汗をかいていました。

また、フィリピンに海外出張いたときも現地のポケモンをゲットしたり、ジムを

その他、ジム上に出現する強いポケモンをその場に集まっている他のユーザーと協力して倒したり、週末、数時間だけ同じ種類のポケモンが大量に出現するなどのイベントもあり、結構楽しいゲームでしたが、機能追加のバージョンアップで処理負荷がだんだん重くなり、自分の古いAndroidスマホでは頻繁にアプリ落ちするようになり残念ながら2年くらいでやめてしまいましたが、結構ハマったスマホゲームでしたね。

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BASIC世代のプログラマーの原点はスキーゲーム

パソコンを始めたのは約40年前の中学生のとき。部活でシンクレア社のZX-81というパソコンを触ったのが最初でした。このマシンでプログラムを入力できるメモリ容量(RAM)はなんと1KB。今自分が使っているパソコンが8GBですから約800万分の1。30行を超すとオーバーする制限はあったもののここでBASICの基本動作を覚えました。

その頃、良く作っていたのがスキーゲーム。当時、カセットレコーダーがなくプログラムを保存できなかったので、数行で動くこのゲームは毎回、部活が始まる都度入力して遊びました。

 

その後、NEC PC-6001、通称パピコンを手に入れて本格的に勉強。

PC-6001のN60-BASICではこんな感じのプログラムでしたね。

10 SCREEN 1:CONSOLE ,,0,0:CLS

20 C=0:X=15

30 C=C+10

40 S=STICK(0):X=X+(S=7 AND X>1)-(S=3 AND X<30)

50 LOCATE X,3:PRINT "V"

60 LOCATE INT(RND(1)*28)+1,15:PRINT "###"

70 IF SCREEN(X,3)=32 THEN 30

80 PRINT "GAME OVER - SCORE=";C

さすがにRND関数の引数やSTICK関数一部命令文は忘れていたのでこちらを参考にしました。

■解説

10行:初期画面設定。SCREENで画面モードを、CONSOLEでクリック音OFFとファンクションキー表示OFFを設定しています。CLSは画面クリアですね。懐かしい表現。

20行:変数初期設定。Cはスコア、Xは自分の水平位置

30行:ここからメインルーチン。スコアを10ずつ加算します。

40行:ここは自分の水平位置を動かす処理を行います。STICK関数は本来ジョイスティック(コントローラー)の倒した方向を知るため関数ですが、引数は0でキーボードのカーソルキーの押しているボタンを検知できます。この関数は左キーを押すと7が、右キーを押すと3が返ります。一般的にはここでIF構文を使って、STICK関数の値を見てXの値を加算、減算するが当時のBASICはIF構文の処理が遅かったので、論理式という小技を使っています。論理式というのは括弧の中の条件文を満たしていると"-1"、満たしていないと"0"として扱われます。STICK関数の値S=7(左方向)の場合は-1を、S=3(右方向)の場合は+1をXに加算するという場合、X=X+(S=7)-(S=3)と表現します。ここではさらにXの動かせる範囲を1から30に制限するために、ANDでXの値をチェックする条件を追加しています。この論理式にすると可読性が落ちるが性能が目に見えてアップするのでこの小技はよく使っていました。

50行:座標(X,3)に自分"V"を表示。

60行:水平位置は1からの28の間のランダムな値で画面一番下の行(=15)に障害物の"###"を表示。この表示の瞬間、1行自動改行して画面全体が上にスクロールします。このゲームの肝とも言える部分ですね。

70行:自分"V"(スクロールしたので座標は(X,2))の真下の座標(X,3)にある文字が空白(文字コード=32)でない場合、障害物には衝突していないと判定して20行にジャンプします。ジャンプの命令は"GOTO"ですが、IF構文の場合、省略できるのが懐かしいですね。また、指定座標にある文字コードを調べる関数は"SCREEN"ですが、画面モードを指定するSCREEN命令と同じスペルなのが今では考えられないですね。

80行:70行でNGの場合、ここに来て"GAME OVER"とスコアを表示して終了します。

プレイするとこんな感じです。

youtu.be

 

下方向に進んでいるのと、自分のキャラクターの残像が残っている感じがシュプールのようだということで、このゲームは「スキーゲーム」で定着しましたたね。

 

当時はこれをいろいろ改造しました。

・障害物の大きさを段々大きくするようにした。

・スリープの代わりにFOR NEXTの空処理を入れてスクロール速度がだんだん速くなるようにした。

・「O-----O」のような2つのポールの間を通ったときにスコアが加算されるようにした。

・ジャンプ機能を付けた。

・前後にも動けるようにした。

などなど

その他、障害物の位置で単純なランダムとした場合、どうやっても逃げ切れないケースが発生するので、必ずすり抜ける抜け道ができるようにチェックする処理も入れたりしました。

今考えると、このときの改善、工夫がプログラムスキルを大幅にアップさせ、将来の仕事に繋がったと言えそうですね。

 

また、当時、デパートなどで展示してあるパソコンは自由に触れて、BASICプログラムを入力して動かすことができたので、いろんな機種でこのプログラムを動かして処理速度やキー感度をチェックしたりしていました。

このころのBASICは「方言」があり、それはメーカーが違う場合は当然で、同じメーカーでもモデルごとに少しずつ記述ルールや使える命令文が違っていて、その方言に合わせ修正する必要がありました。当時はネットがなくその方言を調べるのは容易ではなかったですね。しかし、「ベーマガ」こと電波新聞社のBASICマガジンには各機種の一般読者からの投稿されたプログラムが掲載されていたので、そこから読み解いていました。あのころ、そんな雑誌が300円だった(徐々に値上げしたが)のは神でしたね。

中には上記に出てきたSCREEN関数と同じ機能がないケースもあり、衝突判定のために障害物の位置情報をサイクリックな配列変数に入れて対応したりしていました。

この遊びが後にBASICからC言語に、そして社会人になってからC++, Perl, JavaScriptと仕事で言語が変わっていっても楽しくやれる原動力?になったようで、ここ1カ月はPythonの仕事を楽しんでいます。

 

自分にとってはこのスキーゲームは"Hello World"みたいなもので、エンジニア人生の原点とも言えます。

ありがとうスキーゲーム。

 

参考サイト:

PC-6001 - 「N6x BASIC リファレンス-コマンド一覧」

PC-6001 - 「N6x BASIC リファレンス−付録8:エラーメッセージ一覧表」

Windowsで動くPC-6001エミュレータはこちら参照。

ぱぴこんのこころ - PC6001V

ぱぴこんのこころ - PC6001V - 導入方法

PC-6001互換CGROM Ver.1.1: 808 Midway

 

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