未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

中学は科学部、高校は物理部だったけど中身は、、、

今週のお題「部活」

 

中学の時、帰宅部禁止でした。とりあえず、理科が好きだったので、「科学部」に入ったのだが、最初は学校そばの池に飛来するカモを数えたり、ザリガニや蛇を捕らえて理科室横のベランダで飼ってたりと「生物部」っぽい活動をしてました。

 

そのうち、イギリス シンクレア社のZX-81というパソコン(マイコン)が1台購入され、そこでプログラミングに目覚めました。その後、部長になってから、僅かな部費を使い、ホームセンターのバーゲンを狙って、NEC PC-6001を29,800円とポケコンと呼ばれた電卓型のコンピュータCASIO PB-110を5,980円で購入して、科学部は実質、「コンピューター部」になりました。

 

高校の時、物理部に入りました。名前は”物理”ですが、メンバーの約半分はアマチュア無線を、残りはパソコンをメインに活動していました。無線は物理知識が必要でしたが、パソコンは全然関係なかったですね。

 

当時、学校にはマイコン教室があり、NEC PC-6001が20台くらい、PC-6001 mkIIが5台くらい、そして以前このブログ記事にも書いたPC-8001が1台ありました。 dad-aslan.hatenablog.com

 活動内容は、中学でも、高校でも、ゲームを中心にいろんな自作プログラムを作っていました。テキストのスクロール機能を使ったスキーゲームや乱数を使ったじゃんけんゲームから始まり、RPGやトランプゲーム、2本のRS-232Cケーブルを自作でクロスに繋いでP2P通信させて、ビンゴゲームとか作っていました。

 

また、年に一度、アマチュア無線のコンテストがあり、アンテナの調整とかの手伝いに借りだされていました。記憶があいまいですが、時期は6月か7月くらいで、そのコンテストは土曜の夜から始め、日曜の正午くらいまで競技が行われます。

 

その日は、合法的に学校で徹夜できるということで、自宅のPCを持ち込んでゲーム三昧の後、夜明け前に屋上に出て、日の出を見るというのが定番でしたね。

 

文化部にしては、男ばかりのムサイ部活でしたが、楽しかったです。

 

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