今週のお題「傘」
君に泣き顔みせないように後ろ向きで手をふるのはなぜ。
(渡辺美里「悲しいね」より)
この歌の季節は冬ですが、個人的には雨を思い出します。
おそらく、涙をごまかす=雨というイメージがあるからなのかも。
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最近、よく話題に挙がっている人はSNSの誹謗中傷はどうしたら、防げるかと考えた。
この話題については最近いろんな人が気にに書いているが、「いじめ」でない場合、リアルなコミュニケーションだとここまでの中傷はないだろうという意見があった。
いじめでない=意識的でない、つまり無意識での中傷だ。
そもそも、リアルな会話でも悪気はなくても、人を傷つけるような発言はあったりする。その発言に対し、仮に反論しなかったとしても、発言を受けた人の身振り、手ぶり、顔の動きによる細かな感情が発言者に伝わったりする。
だから、無言でも相手の「感情の発露」を感じ取って、その発言を訂正したり、フォローしたりする。仮に発言者が意固地になったとしても、心に何か引っかかるものとなり、発言者自身を無傷に済まなかったりするのだ。
しかし、SNSでの無言からはそんな意味を汲み取ることはできません。
そして、SNSでは相手の意見に反論する場合も、手段は言葉だけとなり、どちらかが倒れるまで、より攻撃力の高い言葉を使った殴り合いになるという感じですね。
そんなことを考えていて思いついたのが、"悲しいね"ボタン。
"いいね"ボタンに対し、あるSNSではその派生で「あなたの考えに反対」という"悪いね"ボタンもあったりしますが、いずれも不特定多数の人が発信者に対する同意の気持ちを提示するものです。
これに対し、この"悲しいね"ボタンは返事を書いた人に対し、発信者の自分の気持ちを提示するためのボタンです。もちろん、悲しみ以外にも嬉しいとか、怒っているとかもあっていいのですが、"悲しいね"ボタンは、押された人が発信者から反論意見が出たときよりも、冷静に自分の発言を振り返り、思いやりを持った追加の返答に繋がるかもしれないということを期待したものです。
もちろん、この気持ちは返事を書いた人だけに伝わるようになっています。そうでなければ、それを見た別のファンとアンチとで言い争いになり、悲しみの連鎖、憎しみの連鎖という悲劇を生むことになります。(ガンダム的にいえば)
と、絵に描いた餅的な発想かもしれませんが、フミコフミオ氏の記事を読んで、なんとなく思いついたので、ちょっとブログに書きました。(出だしは今週のテーマに合わせて強引でしたが)