今週のお題「暑すぎる」
大学時代、最近日本一の最高気温を記録した浜松に住んでいたころ、先輩の引継ぎで家庭教師をしてました。その少年は当時中学二年でしたが、お世辞にも出来が良くなく、どこかの高校に合格できるレベルになるよう支援して欲しいというものでした。
その年の夏休み、自分は工学部だったので教科は数学、理科、ときどき英語でしたが、自由研究のサポートをすることになりました。
テーマは特に希望がないということで、自宅アパートのそばを通る「姫街道」の史跡を独断で決めました。
「姫街道」はサッカーのジュビロで有名になった静岡県磐田市から浜名湖を迂回して、愛知県の豊川市に繋がる街道で、東海道のサブロードでもありました。
その名の由来は諸説ありますが、江戸の参勤交代で「姫(女性)」の通行チェックが厳しかった東海道の新居関所を回避するための街道という説が有力のようです。特に萌え要素はないですが創作のネタにはなりそうです。
とりあえず、8月の酷暑の中、下記史跡の写真素材を集めるため、彼のアッシー(足となるクルマの提供と運転)となりました。
■気賀関所
浜名湖の北端にあたる浜松市北区細江町気賀に設置された関所。
ここで面白かったのは、付近住民が関所を挟んだ田畑への出入りのために「犬くぐり」と呼ばれた通用門。腰をかがめて通る必要があり、人でなく、犬が通るならばOKという一休さんのとんちみたいな発想の門です。この点で結構セキュリティーがユルユルだったことがわかりますね。
■三方ヶ原古戦場
有名な織田・徳川軍と武田軍が戦った三方ヶ原の戦いの主戦場の跡です。
大きな石碑があるだけで特に何も残っていません、台地の上の広い平野で何千人もの人が集まって戦うには都合の良い場所だということはわかるので、歴史好きは想像してその空気感を楽しんでくださいという場所です。
この戦いで武田信玄に敗れ、命からがら逃げだした徳川家康は姫街道の途中にあった茶屋で一息をついていた。しかし、休んでいるところを武田軍に見つかり、食べていた「小豆餅」の料金を払わず遁走。なんとか武田軍を振り切って逃げたという伝説が残っていて、その茶屋があった付近が現在「小豆餅」という地名になっている。
一方、食い逃げされた茶屋の婆さんが徳川家康を追いかけて、追いついて銭を獲りたてた場所が「銭取」という地名になっている。
という創作話があったそうです。それにしても、武田軍を振り切った徳川家康に追いついた婆さんというと漫☆画太郎が描く婆さんを想像しました。
■犀ヶ崖(布橋)
この後、徳川家康は居城である浜松城に逃げ込んだが、武田軍はそのまま城を落とそうと目論んだ。この時、城近くの犀ヶ崖と呼ばれる崖に「布」を張って「橋」に見せかけ、武田軍を崖下に落として撃退したという逸話が残っていて、このあたりは「布橋」という地名になっている。
このときの敗北の惨めさ、悔しさを忘れないために描かせたのが、この有名な徳川家康三方ヶ原戦役画像だそうですが、この逸話も本当かどうかわからないそうです。
小豆餅の逸話同様、当時の同人作家が勝手に作ったのかもしれませんが、個人的には物語として面白いので真偽はどうでも良いですね。
という感じで面白い発見がいろいろ出てきて、つい調子にのり、自由研究の文章の約8割を私が指示して書かせてしまいました。
その結果、この自由研究は浜松市の何かの賞に入賞し、彼は表彰されることに。。。
ちょっとサポートし過ぎだったと後悔しています。
なお、この家庭教師のバイトは2時間で仲介業者がなしの5,000円がもらえる高額バイトでした。