1時間の定義とは?
地球の自転周期を24で割った長さを1時間として、この定義が世界中に広まったのだ。しかし、この定義で統一される前からも人々は時間に単位をつけることで、時間を測定する技術を構築し、それは科学を大きく進歩させることになった。またそれだけでなく、皆の共通認識の時間の単位で大小さまざまな計画の立案、実行ができるようになり、それは社会システムの進化に大きく貢献した。
時の流れを見える化することで生活は非常に便利になった。
しかし、昭和の時代から言われていたが、人は時間に追われる生活をするようになった。時をマネジメントしているようで、時に支配されるようになった。
昨年末、こんなニュース記事があった。
時速5kmで動く移動体に乗って竹林の中を移動し、自然?風景?空間を体験するというもの。
この時速5kmというのがポイントらしく、ゆっくりと目的もなく漂流することにより新しい価値観を得るそうだ。
速度だけならば徒歩でも良いような気はするが、自分の足で歩くよりもリラックスした状態で移動できるため、また歩くために周りを注意することが不要になり視覚を少し遮断できるので、五感全体で非日常世界を感じるのかも。
何もしないで五感で世界を感じる。
この意外と何もしないというのは難しいですね。
スマホ、テレビ、漫画、小説、それに新聞。
これらの誘惑を断ち切って、休日2時間過ごす。
いざやろうとすると結構難しい。
もし自分でこれが難しい場合は、お金を払って強制的にできるようなサービスを利用するという手もありそうだが、何もしないためにお金を払うというのはよくわからない話ですね。
なお、よく考えたら、これって少し前に流行ったマインドフルネスってやつ?
その昔はヨガ?
もしかしたら、吉田兼好あたりが鎌倉時代から語ってそうな話なのかも。