なぜ、必要以上に真面目に取り組みすぎるのか?
ここ半年くらい、真面目に働き過ぎて疲れていませんか?というコラムを何回か読んだ。また、自分も先日自身にも呼びかけるつもりでこんな記事を書いた。
誰かに言われているわけではないが自分で自分を追い込んで、ちょっと真面目に働き過ぎてたかも。
合格点が70点ならば、100点や90点を取らなくても70点を少し超える努力で仕事をこなせば十分であるということは「百も承知」である。
しかし、真面目に取り組みすぎてしまうのはなぜだろうか? と少し考えてみた。
真面目に取り込むほうが「心の安寧」に繋がるから?
この問題に悩む全ての人に当てはまるわけではないかもしれませんが、一つの理由として真面目に取り組む方が「心の安寧」に繋がるからという仮説を考えました。
先ず「真面目に取り組む」というのはどういうことかを紐解くと「自分の信じている規範(あるいは正義?、または良心?)に基づいて手を抜くことなく最善をつくす」ということになるだろうか?
この自分の信じている「何か」に基づき行動するというのは、敬虔なる信徒がその宗教の教えに従って行動するのと同じようなものですね。多くの宗教では完璧かつ絶対的な正しさを持った神または仏が存在し、その教えに従って行動していればその行動の量だけ報われるという考えがあります。そして、この後ろ盾により自分の行動を肯定することがその人に大きな「心の安寧」を与えているのではと思われます。
自分の信じている「何か」とは宗教的な神や仏でなくても、両親、先生、友人、そしてテレビや書籍で見聞きしたことに加え、自身の今までの経験が育んできた、人に優しく、差別を無しない、噓をつかないなどの「正しさ」が、その考えに従うことで「心の安寧」が得られるのでしょうね。
真面目でない、手抜きのほうがストレス?
一方、合格点の70点を目指すというのは単純に前へ進むのではなく、前進とブレーキのちょうど良いバランスを取る必要があります。そして、その匙加減の絶対的な基準がないことが多いです。上司から要求されている粒度は? この課題で絶対押さるポイントは何かなど状況を見ながら適切な速度や方向を模索し、見極める必要があります。
この方法は決められたルールに従い、無駄があるかもしれないが真面目に全てのタスクをこなせば要求された業務を全て完了させるやり方に比べると失敗リスクが高いため、ストレス=「心への負荷」が高くなるのでしょうね。
手抜きパターンの構築が進めばストレスは改善
とは言うものの、この真面目と手抜きとのバランスの模索、見極めは「経験」を積み、自分なりの手抜きパターンが構築できてくればストレスはかなり解消され、やがては真面目過ぎてこなせない仕事がスタックすることで毎度発生するストレスよりも負荷は小さくなると思われます。
若干、遠回りでも真面目と手抜きとのバランスの模索、見極めのスキルを身に付けたいですね。
なお、結果的に「真面目」という言葉を記事内でディスってますが、「愚直な真面目」より「賢い真面目」を目指すという個人的な願いを込めてこの記事を書きました。(愚直の対義語は狡猾らしいですが、もっと良い言葉があるといいですね)
(Wikipediaより)
今週のお題「わたしのプレイリスト」
2019年はこんなかんじ。
インフェルノ (Mrs. GREEN APPLE) →炎炎の消防隊
お願いマッスル (ファイルーズあい,石川界人) →ダンベル何キロ持てる?
月虹 (BUMP OF CHIKEN) → からくりサーカス
スタンドバイミー (the peggies) →さらざんまい
KNOCK on the CORE ((K)NoW_NAME) →Fairy gone
hold me now (Nai Br.XX, Celeina Ann) →キャロル&チューズデイ