よく中国の人同士が話をしていると喧嘩をしているように見えたりします。その理由に中国語は母音や子音の種類が多く、聞き取りで間違いやすいため、大きな声で話すというのもありますが、やはり自分の主張をハッキリ言うとという国民性もありますよね。
これは中国だけでなく、アメリカやヨーロッパでも同じようにハッキリ言いますね。あくまでも日本と比べると、、、かもしれませんが。
やはり、中国もアメリカもヨーロッパも広い大陸にいろんな生活環境、生活習慣のいろんな民族が混在しているから、それぞれの常識が異なるため、ハッキリと自分たちの意見を言って議論するスタイルが発達したのかもしれませんね。
逆に言えば昔から言われている通り、狭い国土で似たような生活環境、生活習慣の日本ではある程度共通の常識があり、議論はせず、阿吽の呼吸で空気を読んで物事を決定するスタイルを良しとする文化が出来上がったのでしょう。
しかし、その結果は日本人にとって議論することはあまり好ましくない行為であり、中には個人の主張は我儘と捉えていると感じることがしばしばあります。
あくまでも個人的見解ですが、そもそも議論とは意見の異なる者同士がその意見となった背景を説明、理解することで100%納得は無理だとしてもある程度お互いが納得する考えを見つける行為だと考えています。
これに対し、議論を良しとしない(ステレオタイプですが)多くの日本人は議論とは異なる意見が出た場合、その意見の内容に関係なく優劣をつけて、強いと判断したものの意見を採用することと考えているように思われます。議論にマウンティングという行為が付きまとうな嫌な感じですね。
もちろん、中国や欧米でも上司や権力があるものの意見が通りやすいというのはありますが、それでも弱い者でも意見を言うことそのものをNGとすることは日本より少ないと思います。
だから、弱い者の意見でもその意見が優れていて心ある権力者であれば、その権力者の意見を取り下げて弱者の意見が採用採用されるということもあったりします。昔、自分の今までいた部署も典型的な日本スタイルだったので、海外企業と仕事をしたとき、この感じが羨ましいなと思ったりしました。
それでも最近はリモートワークが進んでくると上司の顔色や声色を見ながら意見を調整するよりも、Slackなどのチャットツールでテキスト化された意見で議論するほうが純粋に各意見の中身で議論されることになり、少なくとも声の大きい強い態度で話す人の意見が通りやすくなることを防げるようになったのは大きな進歩です。もちろん、意見をテキスト化するスキルは別途必要になるのでこれで100%解消されるわけではないですが、それでも良い世の中になったような気がしますね。
そしてこれが進んでいけば対面による議論でも、近い将来日本でも中国や欧米と同じように議論できる職場になるかもしれませんね。(一方、リモートワークが進んでいない会社は以前のままかかもしれませんが)