未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

平等と公平と公正

今回は平等と公平について、ちょっと偏っていているかもしれませんが、自分なりに考察してみました。

 

平等とはデジタル大辞泉によると、

かたよりや差別がなく、みな等しいこと。

だそうです。

 

例えば、25人の人が1年働いて1億円を稼いだとします。

このとき25人全員が等しく1/25の400万円の報酬をもらう場合、「平等」と言えるでしょう。

しかし、人によって「はたらき」が違います。

結果的に1年で100個の製品が作られ、1個当たり100万円の儲けがあったという仮定で、一人一人が4個ずつ生産したら、みんなが一律400万円をもらうのは適切と考えられますが、Aさんは6個、Bさんは2個生産してもAさんもBさんも報酬が同じ、3倍の働きをしても報酬が同じというのは納得いかないでしょうね。

 

そこで「1個生産したら100万円の報酬」というルールをみんなに適用します。

すると、6個生産したAさんは600万円、2個生産したBさんは200万円と「はたらき」に見合った報酬となります。

このルールをみんなで適用するというのが「公平」にあたります。

 

改めてデジタル大辞泉を見ると、公平とは

すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。

だそうです。

まさに同じルールが全員に適用されるこのような状態を指す言葉ですね。

 

しかし、このルールだと何らかの事情で1個しか作れない、または1個も作れない人は最低限生きることさえ難しいです。

 

平等にした場合、はたらきの良い人から不満が、

公平にした場合、働くことが厳しい弱者から不満がでます。

 

平等も公平も政治というか多くの人が共同で生活していく中でのルール作りとして非常に重要な考えです。しかし、非常に単純化したモデルでの比較ですが人々の能力が個々で異なる限り、平等、公平のどちらに偏ってもダメなことがわかりますね。

 

しかし、平等と公平がごっちゃになっていて、ほぼ相反する考えである平等で公平な社会を目指すとか言っている人もいますね。ここは平等と公平とのより良いバランスをの社会を目指すと言うのが正しいと思うんですが。。。

 

例えば、自由経済主義の考えで稼ぐ人は法に触れない限り、たくさん稼いで良いよという公平なルールがある一方、稼いでいる人からは多めに税金をいただき、働くことが厳しい弱者の生活保護を行う社会主義的な考えで平等さを目指すという両者のバランスをとっているのが今の政治なんですね。

 

一方、公平を語る上で公正という言葉も重要です。

公正とは再びデジタル大辞泉で調べると

公平で偏っていないこと。

だそうです。

 

皆に適用されるルールを作れば「公平」であり、その運用で全員に同じように適用されれば「公正」になります。でも、ルールをこっそり破ったり、またはルールの抜け道があったりして一部の人たちだけが美味しい思いが許されている状態は「公正」ではないことになります。

 

だから、ルールを破ったときの処罰が甘い、監視体制が不十分という状況にならないようにする、特定の条件で一部の人だけが優遇されないようにするなど「公正」となるようにそのルールや運用方法に問題ないか注意する必要がありますね。

 

よく生活保護を受けている人に不満があるというのは、医療費無料でゲットした薬を転売するなどの問題行動を十分取り締まれないという「公正」でない状況への不満だったりします。

 

公正は「正しくルールが守られる」ということで絶対守るべき正義ですが、ルールそのものが適切かどうかというのは、いろんな人の思いがあるので全員が全員とも良しと判断するルールを作るのは難しいですね。

 

また、監視体制を厳しくするとコストがかかる問題があったりするので、先ほどの薬の転売問題は解決できていない感じがしますね。(他の要因もあるのかもしれませんが)

 

ということで、まとめるとこんな感じでしょうか?

・平等(皆が同じ恩恵を得る)と公平(皆が同じルールの下で生きる)はそのバランスが大事

・公正であること=ルールは正しく守られるべき

・でも、全員が良いと思えるルールを作るのは難しい

 

この辺りを意識しながらヤフコメ(ヤフーニュースのコメント)を上から目線、神目線で見ると、ちょっと違った見識が得られるかもしれませんね。

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