特別お題「わたしの推し」
一人で電車に乗って東京まで出かけたのは中学2年のころでした。
目的は電気の街「秋葉原」に行くこと。
当時、パソコンに目覚めてPC-6001を購入。しかし、まだ家電量販店などない時代。地方の街では周辺機器やソフトはメーカー直営の家電小売店(ナショナルのお店、サンヨー薔薇チェーンなど)やデパートの家電売り場に僅かながら置いてあるくらい。コンピューター専門店も隣の沼津市に1軒ある程度であった。
しかし、そのころ唯一の情報源であるパソコン(マイコン)雑誌にはたくさんの店舗からの広告が掲載されていた。その多くは東京の秋葉原か大阪の日本橋のお店。また、電話帳(タウンページ)のような厚さの雑誌I/Oにはお店の位置と各店のお勧めを掲載した秋葉原マップがあったりして、パソコンを趣味にしている人(当時オタクという言葉はメジャーでなかった)にとって秋葉原は夢の街のように見えました。
「そこに行けばどんな夢も叶うというよ」とガンダーラ(ゴダイゴ)ではないが、そこに行けば手に入らないものはないと想像を膨らましていましたね。
秋葉原までは、全路線をJR(当時はまだ国鉄)で行くよりも小田急線の方がかなり安かったので、時間はかかるけど(3時間くらい)わざわざ小田原で乗り換えて行きましたね。大学で実家を離れるまで年に1、2回は秋葉原詣でしてました。
中学のころ購入したのは地元では手に入らないスティック型コントローラー(JOYスティック)や中古のNEC純正カセットレコーダーなど。
最近の若い人は知らないかもしれないがフロッピーディスクより前の時代はカセットレコーダーを使いテープにプログラムやデータを保存していました。カセットテープは音楽を聴くのに使うテープと同じもので、最初のころは実家にあった音楽用のカセットレコーダーを代用していました。一方、NEC純正レコーダーは読み取りエラーが起きにくいのと再生・停止をパソコンから自動制御する機能があり、ちょっと憧れでしたが必須ではないため購入を見送っていました。しかし、秋葉原で中古品を見つけたときについ財布のひもが緩み買ってしまいました。
地元ではほとんど流通しない中古の周辺機器やパソコンが大量に売られていたのも秋葉原の魅力でしたね。
そして、秋葉原はソフトも古いモノやマイナーなモノを入手できる街でもありました。
アスキーのAX-1は4つのゲームが入って2,800円というかなりお得なソフトであった。廃盤だったためか地元では手に入らなかったが秋葉原だと何軒か回ると売っている店があった。この中のブロック崩しは当時良く遊びましたね。さらに中のプログラムを解析して、ボール残数が100になるように改造してました。
また、父親が遊ぶということで交通費を出してもらい九十九電機のウルトラ四人麻雀も秋葉原まで買いにいきました。麻雀のルールはこのソフトで覚え、高校受験の息抜きに良くやっていましたね。ただし、ここで飽きてしまって高校以降は麻雀にはまらなかったのは、ある意味ラッキーだったかも。
その後、社会人になって上京。パソコンへの興味はだいぶ薄れましたがIT機器や家電製品のトレンドをウォッチするため年に1回は秋葉原を訪問してました。
そして現在、電気街からフィギュア、アイドル、メイド喫茶の店が多く増え、客層も大きく変わりましたが、とうとう昨年の転職で秋葉原通勤に。実際は在宅ワークがメインで出社は月1回くらいですが最初の出会いから約40年、とうとう推し街「秋葉原」通勤が実現しました。
と言っても会社はもう一つの晴海オフィスへ完全に引っ越して、引き払う可能性は高いですが1年くらいは秋葉原オフィス生活を楽しめそうです。
あぁ、夢の街「秋葉原」