未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

八重が生きる世界線はなかったのか。。。伊豆の国市散歩で八重最後の地を行く

静岡県伊豆の国市散歩の続き。

 

こちらは願成就院すぐそばの守山八幡宮

ここで源頼朝の挙兵で集まり、平家打倒を祈願した所だそうです。

ある意味、ここが日本の武家政治700年の序章の地と言える所ですね。

周りは住宅もありますが、畑も多くのんびりした場所です。

こちらは北に5分くらい行った場所にある光照寺。ここには伊豆修善寺に病気療養というか幽閉されていた頼朝の長男「頼家」の面(病相の面)があります。この面はその様子を伝えるために北条政子が作らせたもので、鎌倉の政子の元に送られる途中、頼家は暗殺によって殺されたため、この寺が保管、そのまま寺宝になったとか。また、ここは一時期、頼朝が住んでいたとも言われています。

こちらはちょっと路地に入った所にある北条政子の産湯に使ったと言われる井戸の跡。もしかしたら、兄弟である北条義時も使ったかもしれませんが伝説としては残っていないようですね。また、このそばには室町時代後期と時代が少し違いますが伝堀越御所跡があります。八代将軍足利義政義政に敵対する足利成氏が建てた茨城県の古川公方に対抗すべく、義政から派遣されたの足利政知によって堀越公方としてこの地に関東を統括する機関が作られたのですが、実際はあまり活躍せず、看板以外に今は何も残っていませんので写真も撮り忘れてしまいました。

守山の西側に抜けると狩野川があります。対岸にあるのが江間です。

大河ドラマ前半では小栗旬演じる北条義時が恋焦がれていた新垣結衣演じる伊東祐親の娘、八重が強引に嫁入りした地であり、後に義時が納めた地になります。実際、その屋敷はドラマのように対岸のすぐそばではなく、もう少し遠かったので目視できる近さではないです。あれはあくまでもドラマの演出ですね。

そして、この広場は北条の屋敷があった場所で今は守山西公園になっています。ここも今残っているものは何もないですが、ここから守山山頂にある展望台に行くことができます。今回は時間がなかったので上らなかったのですが、天気が良い日は富士山と田方平野を望むことができ、当時の風景を少しだけ感じることができるそうで、いつか行ってみたいですね。また、自動車で訪問する場合はここに無料駐車場があるのでここに止めて観光を訪問すると便利です。

また、この川沿いの道路は桜並木になっていて春は花見スポットとしても有名です。

この道を南下すると狩野川流入する小さな川と水門があります。

この小さな川は古川と言います。ちなみにこの上流は世界遺産反射炉になります。

そして、この横にある体育館と校舎は私の母校、伊豆中央高校です。

実に30年+αぶりですね。

2年前の記事でも書きましたが、菊池桃子の「卒業」のPV(プロモーションビデオ)を母校の校舎とこの桜並木の道路で撮影する計画があったそうですが、当時の教頭の反対で頓挫したという噂がありました。手前味噌ですが確かに良いロケーションなので、本当残念ですね。

高校当時、日本史の先生がこの守山を指して、頼朝と政子が「愛を育んだ場所」だと説明したのを思い出します。(実際は先生とは思えないもっと露骨な表現をしてましたが)

なお、この古川の校舎の対岸に学校のプールがありました。夏休み、部活動単位で予約をすることができ、物理部というバリバリ文系なのに予約して、このプールで遊んでました。守山の緑が目前に迫るこのプールはちょっとしたリゾートプールみたいな感じで良かったですね。

ここから古川沿いに徒歩2分くらいの場所に真珠院という八重の縁の寺があります。

八重は頼朝と恋に落ち、千鶴丸を生みますが、父である伊東祐親が激怒。幼い千鶴丸は祐親の手の者により川に沈められます。そして、頼朝も北条家のもとに行き、政子と結婚。再び会うことも許されず世を儚んで入水自殺という話が残っています。

しかし、大河ドラマではいくつかある説のひとつに従い、義時の妻になるというハッピーエンド世界線でしたが、もう一つの説に基づき川で亡くなるという最後を迎えます。(あぁ、世界線は変わらなかったか。)

 

高校の時はそれほど関心がなかったのですが、八重がガッキーのような人だったと思うとだいぶ違って見えますね。個人的には北条政子役の小池栄子の方が好みですが。

こちらには八重を供養する八重姫御堂があります。

そこにはこんな願掛け石がありますが不運な八重に何を願うのか。。。幸せになれなかった八重の代わりにここで祈る人は幸せになって欲しいということでしょうか?

(おまけ)こちらはNHK承認済みの北条義時まんじゅうです。中身は普通です。