金沢城散歩の続き。
金沢城は加賀百万石の礎を作った前田利家の居城。wikipediaによると元々は一向一揆で加賀の支配権をえた本願寺の拠点であったが、1580年に佐久間盛政が攻め落とし、1583年賤ヶ岳の戦いで最後の北ノ庄城攻めで先方を務めた利家が勢いそのままに、秀吉の加勢も受けてこの城に入城、加賀を手中に治めたという話らしい。その後、高山右近が改造して今の形になったそうだ。
これらの石垣には〇、×、田などを組み合わせた記号が彫られています。
一説には石材の採掘場所を示すとか加工担当を示すとか言われてますがこの目的は明確になっていません。ただ、曲がりなりにも大事業において個人の仕事の足跡が残っているのはちょっといいですね。
こちらの城らしからぬ建物は旧帝国陸軍の第六旅団司令部庁舎。
東京近辺だと旧陸軍施設って残っていないから珍しいですね。
ちょっと小高いところから橋爪門を眺める。気持ちが良い眺め。
本丸はなく、いくつかの建物も近年再建したものが多いが石垣は当時のままでいいですね。
橋爪門
五十間長屋。長屋と言っても庶民が住んでいたという訳ではなく、見張りのための櫓と武器等を保管する倉庫として使用されていました。
それにしても本当石垣がいいですね。
こちらは石川門。10年前の保全改修できれいになっていますが作られたのは1788年、国の重要文化財に指定されています。
石川県って昔の能登と加賀の国からなっていますが、金沢の西側にあった石川郡が県名の由来だそうです。この門もその石川郡の方向を向いていたので、その名がついたそうです。
語彙が少なくて申し訳ないが、この感じいいですね。
茨城の偕楽園、岡山の後楽園と並び日本三大名園の一つでありますが、個人的にはこの三園の中ではトップかなと思っています。
日本の庭園全般に言えますが森または林の木々と水辺との競演がポイポイントかと。
特に兼六園は池と組み合わせた「計算」された風景を堪能することができますね。
こちらは瓢池。左は翠滝、右は海石塔。海石塔は朝鮮出兵の時、加藤清正が持ち帰り、豊臣秀吉が所有してたものを前田利家を送ったという説があるとか。
こちらは園内の中心にある霞ヶ池。
この池の畔に建っているのが内橋亭。
池を眺めながら抹茶や蕎麦をいただくことができます。今回、欲張り弾丸ツアーで時間がなかったけど、ここで小一時間くらいぼーっと過ごすのも良さそうですね。
そして、こちらは徽軫灯籠。多くの旅行会社が金沢ツアーの表紙写真に使われる風景ですね。
こちらは栄螺(さざえ)山の山頂にある石塔。
高さ9mからの眺めはこんな感じ。
霞ヶ池からは小川が流れていて
カルガモの親子が泳いでいたりします。
こちらは展望台からの眺望。兼六園は高台にあるので金沢の街を望むことができます。
この像は?
兼六園を造営した人でも金沢の人でもなく日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の銅像。
西南戦争で戦没した石川県の兵士400名を慰霊するために建てられましたそうですが、実は日本の銅像第一号だそうです。
立派な根上松ですね。
これだけ大きい松ということは古いものだと思いますが、古松って結構価値が高いそうですね。何億円レベル? 簡単に売られるものではないですが。
こちらは成巽閣(せいそんかく)。13代藩主前田斉泰が母親の真龍院のために建てた隠居所だそうです。前田家の女性と言えば利家の正室まつが有名ですが、女性陣が加賀百万石を治めるのにがんばっていたみたいですね。
(つづく)