前の会社でブレスト(ブレインストーミング)をやるとき、反対意見、ネガティブな意見は言わないというルールがあったが、 個人的には違和感というか、モヤモヤした感じがあった。
先日のブログでも書いたが、自分の意に反した意見も理由がある、ネガティブな意見にも重要な課題が潜んでいることもあり、それを隠してしまうとベストな解決方法に辿り着かないのではという危惧だ。
では、なぜ反対意見やネガティブな意見を封じる必要があるのだろうか?
良く、他人の意見を尊敬(リスペクト)の念を持って聞くという考えがあるが、日本では尊敬=その人は偉いのでその人の意見に従うという感じがあり、異論を持ち出す時点で尊敬の念がないと感じる人が多いのかもしれない。
一方、以前、ベルギー、オランダ、アメリカ、中国、フィリピンなどの海外の人たちと仕事をしたことがあるがみんなはっきりと意見を主張していた。時には喧嘩ではないかと思うような大声での言い合いになったこともあった。しかし、打ち合わせが終わると、みんな涼しい顔で食事や休暇の趣味の話をしたりする。ラグビーの「ノーサイド」みたいな感じだ。
おそらく、そもそも他人(ヒト)は全く違う意見を持っているモノ、みんな違ってみんないいの金子みすゞの、いわゆるダイバーシティー(多様性)を尊重する心が根底にあるんでしょうね。だから、ビジネスのようなある決定をしようとする場面などでは、それぞれの意見をぶつけ合うけど、プライベートな時間に戻ればそれまでの熱い議論は無かったかのように談笑できるのかも。
それに対し、日本人は異論を出すことは、ビジネス面だけでなく、プライベートも含むその人の人格そのものを否定するように感じる人が多いから、反対意見、ネガティブ意見を言うなというルールがでてきたんでしょうね。
もちろん、このような考え方は人間関係に波風が立ちにくいというメリットもあり、意見を出すことが多い年長者の考えを重きを置くのは長い経験に基づく意見なので適切な結論に繋がるというメリットもあります。しかし、それ故、新しく時代が変わろうとする現在においては大きなリスクとも言えます。
それでも最近の若い人は、尊敬=その人の生き方、考え方を敬い、その人の意見こそが正しいという考えではなく、英語のリスペクト=意見が合うかは別として人としては尊敬するという考え(敬意を払うという言葉が合っているのかも)を理解している人も多いようなので、変わってきそうですね。
(Picture By Pixabay)
今週のお題「鍋」
肉や魚も良いダシはでるが、カニや貝のダシのほうが好きかも。
特に御飯との相性が良いのかも。