未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

三島市へようこそ その6:柿田川湧水と穴場湧水スポットの境川・清澄緑地

静岡県三島散歩の続き。と言っても今回は隣の清水町も訪問。

 

中郷用水公園から国道一号線を徒歩20分ほど西に行くサントムーン柿田川というホームセンターや映画館も併設している大きなショッピングモールがあります。

この近隣では大きい方で土日祝日は三島駅から無料のシャトルバスが出ています。ちなみにこちらは清水町循環バスでマスコットのゆうすいくんが全面に描かれています。

このショッピングモールに加え、三島と隣の沼津を結ぶ道路として、この国道一号線は通行量も多いですが、こちらを横断した目の前にあるのが

柿田川公園です。

公園内の森にある階段を抜けると

柿田川が見えます。こちらは高知の四万十川、岐阜の長良川と並び日本三大清流のひとつだそうです。と言っても全長1.2kmと小さな川で知名度は低いですが、昔テレビ朝日ニュースステーション(現報道ステーション)で紹介されたとき、一時的に有名になりました。

というか、この写真だと清流の感じがわかりにくいですね。公園に隣接しているお土産処の「湧水の道」のホームページあたりを参考にしてください。

それでもこの川の特徴である湧水は必見。湧き出てくる富士の伏流水を直接見ることができるスポット「湧き間(わきま)」があります。

訪問したのは11月下旬で夏に比べ勢いが弱い季節ですが、それでも力強く湧いていることがわかります。湧水量は東洋一を誇り1日に100トンを超えるそうです。

youtu.be

そしてこちらが第2展望台から見える通称「ブルーホール」。ここは必見ですね。

SNS映えして、文字通り富士山からの恵みが湧き出るパワースポットです。

この神秘的な青。そこから渾渾(こんこん)と湧き出る水。いつまでも見てられます。

しかし、ここからは眺めるだけで立ち入ることはできません。

そこで次に訪れたのがこちら。

柿田川公園の入り口から10分ほど歩いたところにある通称「丸池」です。

訪ねたのは4月で干上がっている部分もありますが、夏になると満水になります。

ここにはモツゴと呼ばれる小さな魚をよく釣りに来ました。

こちらは元々ウナギやニジマス養殖場でしたが今は公園として整備されています。

そして、元々ここにはその名の通り、境川という北の三島市と南の清水町の境(正しくは江戸時代の駿河伊豆の国の境)に流れる小さな川がありますが、その川に隣接して三島市が整備した境川・清澄緑地という違う公園があります。ちなみにこの境川には養殖場から逃げたニジマスが住み着いていて、小学生のころ、スプーンルアーでアタックしてましたがなかなか釣れなかったですね。

こちらが境川

こちらの水辺も先ほどの柿田川のように少し青みを帯びています。

水深は1mもなく、昔はここで泳いだりしました。ただし、水温が夏でも15度くらいなので10分も入ってられませんが。今は泳ぐのは禁止かも。。。

遊歩道が整備されていて、

いくつか池があります。

こちらの写真ではわかりにくいですが、こちらの池では「湧き間」を近くで見ることができます。柿田川はメジャーなスポットですがこちらはマイナーで三島市民でも意外と知らなかったりします。なお、自動車で訪問する場合、先ほどの丸池公園に駐車場がありますが道が細く、停めれる台数も少ないので「サントムーン」の無料駐車場に停めて、歩くのがベターです。

また、訪問するのは水量が豊富な夏がお勧めです。是非、足を運んでください。

三島市へようこそ その5:中郷温水池で富士山撮影

静岡県三島散歩の続き。

 

実家に帰郷したゴールデンウィークの5月4日、早朝、天気が良かったので富士山を撮影すべくぷらっと出掛けました。

やってきたのは伊豆箱根鉄道駿豆線三島田町駅から南へ徒歩10分、中郷(なかざと)用水公園。

こちらは先日の記事で書いた源兵衛川下流になります。三島市の南側は昔、中郷村と呼ばれていてそちらの水田に引くための用水です。

5月くらいから水量が多くなり、だいぶ水の勢いが出てきましたね。ピークは6月から7月でしょうか。

ここはカワセミの出現場所らしく数人のシニア世代のカメラマンが三脚を立ててスタンバっていました。彼らは知り合いらしく、天気が良い朝は良く来ているようです。ちょっと羨ましい趣味ですね。

そして、国道1号線を渡って南へ移動します。

南側も公園になっています。昔(30年以上前)は何もなかったところですが、ちゃんとした緑地公園に整備されていましたね。

シロツメクサが満開ですね。

さらに南側は池になっています。こちらは温水池と呼ばれています。こちらの水は湧水で夏でも15度くらいのため、この池に貯めて自然の太陽光で温めてから、

この川を通じて各水田に流れます。この川は昔タナゴがいて、よく釣ってました。

流石に今はいないかな。

カモがいますが、この池に定住しているのでしょうか。自分はこの池のそばの中学校に通っていて、当時科学部に所属してました。自分たちの世代のころから主な活動はパソコンでのプログラミングに変わりましたが、この池に渡来するカモの数をカウントする調査だけは部の伝統としてやっていました。当時は秋になったら飛来し、春になったら北に帰っていましたが今は年中いるみたいですね。

そして、この池の端から北側を望むと富士山が見えます。

今の季節は雪が上半分に残っていて、正に子供が描く富士山のイメージそのものです。しかし、この時期快晴になることは少ないので、意外とこの感じの富士を見るのは難しかったりします。さらに風がなければ池に映る逆さ富士が見れたのですが、これでもラッキーということで。

池に張り出した展望テラスからだとこんな感じに見れます。

周りは普通の住宅地で当時はただの池でしたが、

島を作って樹木を植えたりとか、本当綺麗になりましたね。

三島から見る富士山には江戸時代に噴火したときにできた宝永火口がぽっかりと大きく口を開けていて他地域から見るときより不格好という人もいますが、個人的には見慣れているこのシェイプが一番好きですね。やはり、富士は地元から見るのが一番ですね。

 

 

平等を目指す日本の若者 凶と出るか、吉と出るか

先日、こんな記事があった。

toyokeizai.net

 

この記事の中では下記のどれが公正な分配ですかという問題について語られている。

① 平等分配
② 必要性分配
③ 実績に応じた分配
④ 努力に応じた分配

例えば、社員10人の会社で5,000万円の利益が得られた時、以下のように分配される。

 

①平等分配

利益を人数で割って分配。全員一人あたり500万円となる。

②必要性分配

例えば経済的な負担となる扶養家族で分配を決定する。例えば大学、高校生の子どものいる人は多くして800万円、扶養のない独身の人は少なくして400万円とか。

③実績に応じた分配

例えば利益の貢献率に応じた分配。今までにない販売ルートを開拓した営業担当に800万円、開発成果物が期待したものより20%少なかった技術者は400万円とか。

④努力に応じた分配

例えば労働時間に応じた分配。有休もとらず毎夜夜遅くまで働いた総務の職員は800万円、定時帰宅で有休もきっちり全て使った法務の職員は400万円とか。

 

②、③、④は実際に適用しようとした場合、上記ほど単純な基準で分配比率が決まるわけではないし、実世界では②、③、④のハイブリッド(混合)となるが、ここでは解説のために極端な例でイメージを掴んでください。

 

この記事の中でどれが一番良いかというアンケートで1995年では

① 平等分配:男性5.2%、女性7.5%
② 必要性分配:男性9.8%、女性9.1%
③ 実績に応じた分配:男性30.4%、女性16.6%
④ 努力に応じた分配:男性51.2%、 女性62.2%

③の努力を支持する人が半数以上ですが、2018年(2年にわたり複数回調査)の結果では

① 平等分配:男性49.0%、女性53.2%
② 必要性分配:男性5.9%、 女性5.5%
③ 実績に応じた分配:男性19.6%、女性16.5%
④ 努力に応じた分配:男性25.5%、女性24.8%

①の平等を支持する人が半数に。すごく大きな意識の変化ですね。

これには、どんなに努力をしても、また結構実績を積んだとしても大して給料が上がらないという愚痴を大人の先輩からをよく聞き、若者自身もそれを感じとっているという背景があるのかもしれませんね。

 

改めてこれを国の政策(ポリシー)で考えると、①は社会主義共産主義、③は資本主義、自由主義に相当しますね。現在、世界の多くの国は極端にどれかを選択するのではなく、割合は国によって違いますが①から④をミックスしていますね。

 

ただし、グローバル化で多くの国と付き合う現在では①の比率が高い社会主義国は消滅または方針展開で③の資本主義を中心に②の社会保障や④の最低賃金制度などを組み入れた国が多いですね。

 

その中で日本の若者の半数以上が①の社会主義的な方向を支持するというのは興味深いです。今までの延長線上として考えると社会主義国は二十世紀時点で否定され、その多くが消滅。唯一大国として残っている中国も現在においては資本主義の考え方が多く導入され、資産が100万ドル(感覚として1億円)以上の富裕層が500万人を超しているらしい。それでも社会主義を支持するというのはある意味不健全と言えるかも。おそらく多くのオジサンにとってこの状況は悲観的に見えるでしょう。

 

その一方で、資本主義は経済活動が拡大していくことを前提に各国が競争しあうのだが、SDGs視点で見るとそれは好ましくない状況で、最小限の経済活動で得られたものをみんなで平等にシェアするほうが持続的な社会を作る方法としては適しているのかもしれない。もし、SDGsを意識した結果のこの考えだったとしたら世界的に最先端なのかもしれません。

 

と言っても自分の若い時を考えるとそんなことは考えていなかったので、深く考えている若者はそんなにいないでしょうが。。。

 

それでも平等社会を目指すというか、支持する日本の若者が凶と出るか、吉と出るかわかりませんが、50代を過ぎたオジサンとしては温かく見守っていきたいですね。

 

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カツオが調子悪い、ワカメが落ちた

今週のお題「わたしのドメイン

 

ブログを始めたのは15年以上前ですが途中サボっている期間があり、再度復活したのは4年前。いつかは「収益化を」と考えて、とにかく一日一記事を書くチャレンジをしてました。しかし、広告の商品に繋がるような記事を滅多に書かかないことがわかり、収益化はいいかなという感じで、このため自分専用のドメインは欲しいと思いつつも、このはてなブログもProには行かず無料版のまま継続していますね。

 

ドメインと言うと仕事で少し絡むことがありますね。ドメイン名(abcの部分)はそのサービスを世に知らせる大事な名称として企画や広報の担当が必死になって考えますが、サブドメイン名(xyz部分)は命名は技術者が担当することがあります。

www.xyz.abc.com

昔、複数のサーバーを用意するとき、サブドメイン名というかどちらかというとホスト名なんですが、例えばMercuryやVenusなどの太陽系の星の名前使うというような命名ルールを決めていました。

太陽系だと彗星などを使っても10数個で終わってしまうので、アメリカ50州を使うというルールもあったそうです。

そして、昔携わっていたシステムではサザエさん一家の名前を使っていました。カツオ(katsuo)が調子悪いとか、ワカメ(wakame)が落ちたとか不穏なセリフが取り交わされていましたね。

 

社内専用ではなく、社外からアクセスできるサーバーのサブドメイン名としては "test" とか "dev" (開発のdevelopmentの省略形)をよく使っていましたね。最近はそんなベタな名前だとサーバー攻撃の的になりやすいと言うことで別の名前にしてますが。

 

とお題の「わたしのドメイン」からだいぶ脱線しましたが、もし取得するならば

"mirai-dairy.com"ですね。何のひねりもないですが。

三島市へようこそ その4:鎌倉殿の13人縁の隠れスポットをブラブラ

静岡県三島散歩の続き。と言っても今回は隣の清水町も訪問。

 

三嶋大社から下田街道を南に徒歩7分くらいの場所に言成(いいなり)地蔵という地蔵が祀られています。江戸時代、大名行列が進む中、母親のいる反対側に向かって行列の前を6歳の女の子が横断し、配下の侍に捕えられました。殿様に「お殿様の言いなりになりますから、助けてください」と何度も懇願されたが許されず手討ちになってしまいました。その娘を憐れみ、近隣の人が建てたのがこの地蔵です。

改めて、この話を調べてみたら、当時知らなかった事実が。実はこの殿様は娘の態度に一旦許す方に気持ちが傾いたが、一緒に助命を懇願していた寺の上人がポロっと娘の父親は尾張出身だと漏らし、たまたまだがその殿様が大の尾張嫌いで、やはり手討ちすることになったとか。しかも、父親はその後、箱根で待ち伏せし、猟銃で殿様の暗殺を企てたが、籠の中は無人で暗殺失敗。そして、その父親は自殺したとか。

小学生のころ、この言成地蔵の劇で父親役をやった思い出がありますが、娘の訃報を知って猟に出ていた山から一目散で帰るというシーンしかなかったです。実はさらにこんなドラマがあったとは驚きですね。

言成地蔵から3分くらい歩いたところに小さな祠があります。妻塚堂(さいづかどう)と呼ばれていて、こちらは源頼朝に纏(まつ)わる逸話があります。大庭景親が頼朝を暗殺しようと画策。その企てを知った景親の妻は源氏に縁のある人物で、頼朝に化けて代わりに殺されたそうです。その妻を弔うために建てたのがこの妻塚で意外と地元の人でも知らない話です。

大庭景親大河ドラマ鎌倉殿の13人では國村隼さんが演じていて、序盤、頼朝の前に立ちはだかる敵役として好演してましたが、自分のミスとはいえ妻を殺める原因である頼朝が憎くてたまらなかったんでしょうね。

こちらは妻塚堂から徒歩3分のところにある間眠神社。「間眠」と書いて「まどろみ」と読みます。

ここも頼朝縁の地で未だに1979年、頼朝が主役の大河ドラマ草燃える」のときに作られた看板が残っています。

こちらは頼朝が平家打倒のために三嶋大社へ百日参りをしたとき、休憩で昼寝をしたという逸話が残っています。

頼朝は松の木の根元でうたた寝をしてたそうだが、その松の6代目がここにあります。

ここからは富士山を眺めることができますが、当時は電線はもちろん、家もそれほどないもっと良い眺めだったでしょうね。

そして大きく移動。三島の隣の清水町と沼津市の境界にあるのが黄瀬川。

かつて源平の富士川の戦いで頼朝側が陣を敷いていたあの黄瀬川です。

そして、その傍には八幡神社があります。

こちらの神社は奥州平泉(岩手県)から打倒平家のために駆け付けた源義経が頼朝と涙の対面をした場所だと言われていて、ここには二人が座ったと言われる石が残っています。三嶋大社の頼朝、政子の夫婦腰かけ石に引き続き、兄弟腰かけ石です。

ここには頼朝が柿を食べたら渋柿だったため、ねじって傍らに捨てたら、その種が育ったという2本の柿の木が残っています。2本の木は根元がねじり、絡み合っていることから「ねじり柿」という名が付いているそうだが、仲良き兄弟では終わらなかったちょっと皮肉的なエピソードですね。

ここからも当時とは少し形を変えたが富士山を望むことができます。

(つづく)

三島市へようこそ その3:ビッグな宿場町三島

静岡県三島散歩の続き。

 

こちらは三嶋大社から徒歩5分くらいのところにある三嶋暦師の館

こちらは三嶋暦を発行していた河合家の家屋で、今は博物館になっています。三嶋暦とは女性や子供でわかるように仮名で書かれた暦(カレンダー)で、三嶋大社で参拝客に頒布していたそうです。歴史は古く室町時代からあったそうで、仮名暦としては日本最古だとか。遠くからの参拝客に土産として人気があったようで、神社側も良い収入源だったようです。

Wikipedia"三島暦"より。(JGDfgdfgf1 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77157574による)

この三島鍋は文様が三嶋暦に似ているからという由来があります。似ているかどうかというと微妙ですが、三嶋暦はその名前に使われるくらい有名だったようですね。明治時代には廃業したみたいですが、今でも三島市内では復刻版として売っているようです。

こちらは旧東海道をさらに東に進んだところにある新町橋。ここが三島の宿場町の東端になります。江戸時代はここに門があり、日暮れには閉じるのでそれまでに箱根を下って街に入る必要があったそうです。この橋の下を流れる川は大場川ですが、昔は賀茂川と呼ばれていたそうです。平安時代政治犯というか勢力争いに負けた貴族の多くが、京の都からここ伊豆の国へ流されたそうで、その時、都を偲んでこの川を賀茂川(鴨川)と呼んだそうだ。

この橋の袂にはお地蔵さんがあるのですが首切り地蔵と呼ばれています。ここは街の外れで罪人の処刑が行われ、首が晒された場所。その魂を鎮めるために作られた地蔵だそうです。

再び三嶋大社へ。鳥居の前から真っ直ぐ伸びる道は下田街道。伊豆下田に繋がる道です。

このすぐそばにある三島市役所別館前にはからくり人形がありますが、今は動いていません。

そして、昔懐かしの丸ポストがあります。

こちらは夏に行ったときに見かけた日光陶器店の風鈴売りです。運がいいと三嶋大社周辺で会えます。

大社から旧東海道を西へ7-8分進むと2つの本陣跡の小さな石碑があります。

旧東海道の南側が樋口本陣。

北側が世古本陣。本陣が2つあるのは大きな宿場町の証拠と小学校の教頭先生が自慢げに教えてくれました。箱根八里の前後で必ず泊まる場所であり、大きな神社があり、富士山も見え、女郎衆遊びもできる一大観光スポットということで大きな宿場町だったことは確かのようです。

そこから北へ少し行った場所に長円寺という寺がありますが、その門は世古本陣の正門が残っています。今まで本陣があった場所をいくつか訪問していますが何も残ってないことが多いので貴重ですね。

こちらはそこから徒歩1分くらいの場所にある白滝公園。ここにもカラクリ人形があり井戸水を汲むみたいですが動いていませんね。

ここにも懐かしの丸ポストがあります。

こちらの公園は湧水による池と清流があります。

こちらは11月の様子ですが、

湧水量が多い夏は勢いよく流れています。新幹線の駅から徒歩10分、商店街傍の住宅街の真ん中でこんな清流があるのは珍しいですね。

公園の中に子供用のジャブジャブ池もありますが、公園の隣に流れる桜川も浅いので、こんな風に水の中を散歩すると気持ちがいいです。(青い服が息子です)

ちなみに三島という地名は南北に走る大場川(賀茂川)、桜川、御殿川、源兵衛川の4つの川で分断され、3つの島があるように見えることから三島と呼ばれるようになった説が有力のようです。

(つづく)

 

 

当たり前だが理解できないことを教えるのは無理だけど

自分はアインシュタイン相対性理論について、光に近い速さで動くとゆっくりと時間が流れるという、遠くの星に行った宇宙飛行士が地球に帰って来た時、その人は若いままだけど地球に残っていた人は年を取っていたあおのウラシマ効果の現象は何となくわかるが、理論そのものはほとんど理解できていない。

二十代のころ何度かチャレンジしたが表面的になぞった感じで、自分の知識の血肉になるほどは理解できなかった。おそらく、自分の頭脳の限界を超えているのだろう。

 

昔、人と人は話し合えば必ず理解し合えると思っていた。偶然にも海外の人と仕事をする機会があり、仕事に関する考え方というか慣習の大きな違いにカルチャーショックを受けましたが、それでも何度かコミュニケーションを取ることで、お互いの考え方を理解して最終的には円滑に業務を進めることができました。

 

そんな成功体験から一時期、どんなに意見が合わない人とも根気よく話をすればお互いの考え方を理解し、両者が納得がいく最適点を見つけることができるのでは、仮にできない場合は自分の努力が足りないだけでは思っていました。

 

しかし、40歳も半ばを過ぎるとそれは幻想であると気付き始めました。それでもどこか淡い期待を持っていましたが、50歳を超える頃には幻想であると断言できるようになりました。これには相手がこちらに歩み寄る気が一切ないとか、相手の学力不足でこちらの言っていることが本当にわからないのか等いくつか理由はあるかと思いますが、いずれにせよ当たり前だが理解できないことを教える、理解してもらうのは本当無理です。

 

そして、自分の考えを理解してもらうことにいろいろ手を尽くしてもダメだった場合の対応は2つ。

ひとつは相手の考え方の延長線上で意見を誘導、時には嘘をつき、騙して自分の考えに近い方へ持っていく方法。相手方が不快にならないよう上手くやれるのならば一概に悪いやり方というわけではなく、むしろ最終的に皆のハッピーに繋がるのならばある意味ベストな方法とも言えますが、仮にそのスキルがあったとしても信条に敵に二の足を踏んだりしますね。

もう一つは「諦める」ですね。自分の意見は引っ込めて相手の意見に従うしかないですね。

 

なお、実は自分自身が相手の言っていることが理解できないということもあります。

自分にとってのアインシュタイン相対性理論のように理解できない理論だった場合。

特に若者の感性に基づいた理論に。

だから、ある程度の年齢ならば「諦める」の選択肢を取って、ちょっとしたギャンブルとして大きな心で見守るというのも試すべきなのかもしれませんね。