未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

上野発の夜行列車降りた時から、、、爆音注意のスポットです 青森

青森県散歩の続き。

 

今回の青森訪問は出張での移動をフル活用させていただきました。メインがむつ市であるが、もうひとつの仕事先は弘前市。5月の訪問では両方の現場に行かなければなかったがその距離は約150km、東京から栃木県の日光くらいの距離。鉄道で繋がっているもの、特急が走っているわけでもなく最速でも約4時間。しかも走行本数が少なく、乗り換えの接続も必ずしも良いとは限らない。ということで途中の青森市周辺で一泊することに。

 

この日、青森駅に到着したのは18:00過ぎ。改札を出て東西通路から見た北に伸びる青い森鉄道の線路。ここは終着駅でJR津軽線の線路は別なのにどこに行くのでしょうか?
(答えは後半)

まだ明るかったので少し観光。こちらは駅から北へ徒歩2分、A-FACTORY、青森のお土産や特産物、スイーツを扱う商業施設。この辺りは青森ウォーターフロントとして再開発。2010年の東北新幹線新青森駅開業に合わせてこちらもオープンしたようです。

砂浜が広がっています。もうここは海。都市にある大きな駅のこんな近くに海があるのはちょっと珍しいですね。青森ベイブリッジと都会的な景観を作っています。

ただ、夕暮れ時の駅に近いビュースポットなのに人がほとんどいないのは少し寂しいですね。

そして、少し先の東側の海岸に見える怪しげな三角の建物。

青森県観光物産館アスパムです。特徴的な三角形は青森の頭文字Aからきているそうです。ちょっとピラミッドパワーを感じる見た目ですね。その後ろに見える雪が残っている山は八甲田山なのかな?

そして、青森らしいリンゴのフォトスポット。後ろには船?

近づいてみると! 線路らしきものが船に向かって伸びています。

船名は八甲田丸。メモリアルシップと言うことは今は動いてないということ。
調べてみたら、函館と青森を結ぶ青函連絡船として働いていた船ですね。
今は繋がっていませんが青森駅の線路は元々この線路に繋がっていたわけです。

そして、駅が海の傍にあったのはこのためだったんですね。

引退したのは昭和最後の年、1988年。JNRは日本国有鉄道つまり国鉄ロゴマークですね。中学生当時、青春18切符でも乗れるということでチャレンジしてみたかったけど、その前に廃止されちゃいましたね。

 

こちらの八甲田丸、昼間だったら中を観覧できたんですけどね。

この船の前方にある記念碑は津軽海峡冬景色の歌謡碑。こちらの赤いボタンを押すと石川さゆり津軽海峡冬景色のフルコーラスが流れる記念碑です。「北へ帰る人の群れは誰も無口で」というのはここで船に乗り換える人たちのことを歌ったのですね。
それにしても音量が爆音で、しかも1回押したら歌いきるまで止まりません。会社の同僚以外、周りに誰もいなかったのですが滅茶苦茶焦りましたね。ちなみに以前は人感センサーで自動で流れていたようですが、夜知らずに近づいて急に音楽が流れたら、かなりビビるかも。

ところで青函連絡船は廃止になったのですが、函館と結ぶ船は現在も運行されているそうで、ここより数kmほど北西に行ったフェリーターミナルから出ているようです。こちらのフェリーは昭和のように暗いイメージはないみたいですが。

船を停泊していたほうと反対の西側には青森駅からの線路が伸びていて、特急のスーパーつがるが停車していました。

これが線路の端。実際は下北駅の方が北ではあるが、北海道新幹線が開通するまでは本州から来た列車はここが最後の地という感じがあったかもしれませんね。

(つづく)

日本三大霊場 パワースポット恐山を行く(快晴だったので怖くなくて良かった)

青森むつ市散歩の続き。

 

9月初旬、前回の記事でも書いたが平日むつ市内のホテルで予約を取るのは厳しく、新幹線の八戸駅で一泊。その日はレンタカーでむつへ。渋滞などの不測の事態に備え早めに起床して二時間かけてむつ市まで来たが、時間があったので日本三大霊場である恐山へ行くことに。


むつ市街地から山道を走ること30分で到着。平日なので駐車場がガラガラでラッキーでしたね。クルマから外に出ると硫黄の香りを感じます。

こちらのお寺の名称は恐山菩提寺。境内に入ると先ず目に入るのが山門。

何もない山中にある寺の門としてはかなり立派ですね。

参道脇の樋を流れているのは温泉。これが硫黄の香りの正体ですね。実は恐山は活火山であり、霊場というだけでなく温泉場としても有名です。

こちらが本堂。

この先にある建物が本尊安置地蔵殿です。

振り向くと広いですね。山の中にある寺とは思えない広い平地ですね。

境内には温泉の浴場があります。こちらは拝観料を払えば無料で入ることができます。午後から仕事が無ければここでゆっくりできるんですが我慢我慢。

塔婆堂

こちらは亀? ちょっと不気味ですね。

偶然にも晴天に恵まれ、明るい青空の下での訪問でしたが、それでもどこか現世とは違う空気を感じるお寺です。

ここから外側のエリアに。

寺の境内と言うより自然公園の一部のような感じ。

ちょっと箱根の大涌谷を思い出しますね。

左側の看板にはこんな注意書きが。おそらく崩れやすいから注意しようという意味でしょうが曇天の暗い空の下で見たら別の意味で捉えていたかも。

また、ところどころ微かですが煙が立っています。活火山ですね。硫黄で黒くなっています。

青空に森の濃い緑に瓦礫の山。なかなか見れない景色ですね。

ここは自然の地形を生かした寺の庭だがこの辺りは正に地獄世界を表現していますね。

こちらは大阿堂。無数の風車が差してあります。この時は会社の同僚と二人で行ったのですが、一人でこれら風車が一斉に回ったりするとメチャ怖いかも。

千手観音

ここからは宇曽利湖が見えます。典型的な火山が作ったカルデラ湖ですね。

下まで降りてきました。

この辺りはちょっと南国リゾートを思わせるような白い砂浜が広がってます。ここは極楽エリアになります。

と思ったら、こちらのオブジェは、、、ちょっと無数の手が怖いです。この日は快晴で本当良かったです。

こちらは東日本大震災の犠牲者の霊を弔うために建てたものらしいですが、それにしてもデザイン何とかならなかったのかな。振り向いた瞬間、引き込まれるかもと心配になるよ。

こちらは

胎内くぐり。

金堀地獄。ここには元々金鉱脈があったのでこんな名称がついているかもしれません。金が出てくる自体、別に地獄じゃないような気がするが、それとも鬼たちに金堀りを強要されているイメージなのか?

30分くらいしか滞在できなかったので駆け足で見学しましたが、ちょっとした異世界を体験。日常ではなかなか見ることができない良い風景を見ることができました。


最後に出口の近くには小さな売店があります。

ここでお供え用の風車を買うことができたみたいですね。これを供えると風が無くても亡くなった子供たちの霊が風車を回すとか。。。本当、本当、この日は快晴で明るくて良かったです。

(むつ市おまけ)

こちらは10月末に行ったときに宿泊したむつグランドホテルです。市街地付近のビジネスホテルの空きが全滅な中、偶然にも会社既定の1万円以下の空き室があったので宿泊させていただきました。

こちらは斗南温泉という温泉宿で4回目の訪問でやっと観光気分が味わえました。

少し高台にあり部屋からは釜臥山が見えます。

早朝の景色はこんな感じ。

何となくハワイ ワイキキのダイヤモンドヘッドを思い出しますね。(向き逆ですが)

(つづく)

青森県制覇! むつ市をぶらぶら 普通にご飯が美味しいかも

とうとう訪問できました青森県

20代で全国41都道府県まで制覇、残りは青森、秋田、和歌山、徳島、高知、鳥取でしたが結婚、子育て等なんだかんだで更新がストップ。そして、ようやく昨年、42都道府県目の青森県を訪問できました。

実は仕事先が運よく青森県。5月から11月にかけて4回ほど出張したので、その時の就業時間外や週末を使って青森各地を訪問したのでその様子をレポートします。

 

先ずは今回の仕事先の病院がある青森県むつ市むつ市の中心地は青森県東側、マサカリ型の下北半島の刃の付け根部分。神奈川からは東北新幹線八戸駅まで行き、青い森鉄道に乗り換え。さらに淵野辺駅大湊線に乗り換えます。自宅から現場までドアツードアで約6時間です。本当長いですね。

大湊線下北半島を南北に縦断する、途中は住宅や倉庫が点在していて街と言えるエリアがほとんどない、言ってしまえば何もないところを走る鉄道です。

www.youtube.com

珍しい建造物と言えば発電用の風車くらい、普段ゴチャゴチャした街に暮らす自分にとってこの風景は御馳走ですね。

ここ青森県の「横浜」。地図メーカで働いていたころ、東京周辺で横浜を含むキーワード検索した時に神奈川県の横浜周辺の施設が上位に表示されるよう改善した時に、この青森県横浜町の施設を検証で使った思い出がありますね。

そして、目的の下北駅へ。ここは終点ではないのですが緯度は本州で最北の駅。この北には北海道があるのですが、5時間以上移動すると北の最果ての地まで来た感がありますね。

こちらは駅舎、小さな駅です。1日の運航本数は両方向で18本、日中は3時間待ちになることも。利用者は多くないのでこんなものですかね。

駅からはむつ市の最高峰、標高878mの釜臥山が見えます。

駅傍の広場には機動戦士ガンダムズゴックが描かれたマンホールがあります。水源池公園と水との相性がいいズゴックを選定しているのは渋いですね。

クルマ社会の地方で駅周辺は繁華街ではないです。

コンビニなどの店はなく土産物屋とラーメン屋くらい。

こちらはその万八ラーメンの味噌ラーメン。万八ラーメンは地元むつ市に3店舗、青森市に1店舗を展開している地場チェーン店。特に青森名物というわけではないようですが、普通に美味しかったです。

こちらは駅から現場へ行く途中に見つけた喫茶店ナンバーワンのチャーハン味噌汁付き。懐かしい喫茶店メシを久しぶりに堪能しました。

こちらは青森県地場スーパーチェーンマエダ本店の2階にあるレストランクッチーナのハンバーグ定食。奇をてらっていない基本に忠実な丁寧なつくりのハンバーグ、美味しかったです。

こちらは病院内のコンビニで買った手作り焼きおにぎり。
これも名物と言うわけではないですが美味しかったですね。
ということでむつ市に関しては仕事で来たこともあり、食べ物ばかりの写真です。

宿泊したホテル周辺も特にスポットはなく、珍しいのはこの美魔女の美容室くらいですね。

むつ市にはいくつかホテルがあったのですが、観光ではなく六ヶ所村原発施設工事関係者が多く利用するため、なかなか予約が取れなかったですね。その中で宿泊できたのはこちらホテルユニサイトむつ。大手チェーンではないこちらも地場のビジネスホテル。

建物は若干古く、清潔だが設備としては懐かしい感じですね。しかし、朝食ビュッフェが充実していて、ビジホにしては味のグレードがかなり高かったです。

むつ市街地での観光と言えばこの大湊線の終着駅、大湊駅

アゲハ蝶が羽を広げたように見える夜景が有名らしいですが、今回見る機会はなかったですね。

駅には昔の腕木信号機のモニュメントがあるくらいで特に観光スポットらしきものはないです。

待ち時間が1時間以上あったが、この駅周辺にも喫茶店などはなく、駅前の洋菓子の店エチゼンヤでおやつを買ってぶらり散歩。

こちらの大湊吉田ベーカリーでリンゴを購入。パンももちろん売っているがいろいろ売っている雑貨屋。トキが110円、サンフジが120円と激安。もちろん味も良い。さすが青森ですね。

駅の裏はすぐ海です。結構風があり、湾内ではあるが穏やかな海というわけではないですね。

駅に戻って待合室で自動販売機を見ると懐かしのHI-Cジュース。これは青森、岩手、秋田限定の復刻版みたいですね。

むつ市ともお別れの時間、

ここが本州の北の最果ての地点。

この小さな車両に乗車。約2時間かけて東北新幹線八戸駅までのローカル列車の旅となります。

(つづく)

三浦半島 城ヶ島 東京から90分で大自然の景色を堪能できます

今回の散歩は三崎口駅から。

前回三浦海岸駅から一駅、京急久里浜線の終着駅の三崎口駅ですが、こちらの名物と言えば三崎のマグロ。駅の案内看板も遊び心あるこんなデザインに。

ただ、三崎というもののこの辺りは昔の初声村。三崎の港まではかなりあります。行くとしたらバスなので今回は断念。
ちなみに初声と書いて『はっせ』と読みます。珍しいですね。

この駅周辺はいくつか小さな土産物屋、食堂、居酒屋などが数件あるだけで商店街らしきものはなく、後はまばらに住宅と畑。中には廃墟みたいなタバコの自動販売機も。

自分はタバコ吸わないが200円台で買えた時代に帰りたいと思う人もいるのでは?

こちらの野菜直販所で買ったのはこちら三浦大根。体積は一般的な青首大根の2倍はありそう。ちなみにこちら若干、葉の部分が痛んでいるということで250円。現地で買うと安いですね。なお、三浦半島だから三浦大根たくさん作っているのかなと思ったら、最近は青首の方が多いそうです。大きすぎて現代の家庭ではもてあますというのが理由か? 食べたところ、煮崩れしにくいので煮物やおでんがおススメですね。

また、駅のお土産屋で売っていたマグロの角煮。昭和世代ならわかると思いますが、つまみとして良く見かけたツナピコですね。いや、当時のものよりしっとりしていて美味しいです。サラダのアクセントにちょうど良かったです。

そして翌々週、家族でクルマでお出かけ。三崎を飛ばして向かったのは三浦半島の先端を抜けて「城ヶ島」へ。

まぁ、島と言っても橋が架かっているので気軽に行けますが。

橋を渡って西側に向かうと見えてくるのがこれ。

陸地に灯台?と思ったら

灯台を模した派出所でした。トイレや郵便局などでなく派出所でこの建物は珍しいかも。

で、駐車場にクルマを停めて早速向かったのは城ヶ島灯台の西にある海岸、長津呂(ながとろ)の磯。と言っても城ヶ島灯台は工事中で今は見ることができませんが。

この付近は大地震で隆起を繰り返し、岩石や地層が地表にでてきた(露頭)とか。

詳しいことはわかりませんが地質学大好きな人にはご馳走のようですね。

海水の透明度が高いですね。

東京からでもクルマで90分。気軽に来れれる大自然スポットですね。

こちらは馬の背洞門。

パワースポット、フォトスポットとして有名だそうです。確かに栄えそう。

ここから先に見えるのは

房総半島です。

陸側の小さな穴も多くの人が自撮りしてました。

脇の階段から上り振り返るとこんな感じ。

そしてこれが馬の背洞門を上から見た眺め。絵になりますね。

なお、こちらの細い部分は立ち入り禁止です。
個人的には禁止されていなくても行きたくないですが。

そして、岸壁の上にあるのは西の城ヶ島灯台と対になる東の安房灯台。対になっているということで恋愛成就のスポットらしいですね。

今回の旅は休日の朝に思い付きでクルマに乗って家族で来ましたが、足場の悪い海岸線を歩いて移動したら結構疲れたので、島の西側半分を回っただけで帰宅。
残り半分もいつか訪問してみたいですね。

(おまけ)お昼ご飯は移動途中に見つけたスーパーマーケット「ベイシア」で購入した天丼。400円でこのボリュームはなかなかです。ベイシアって神奈川、東京ではあまり見かけないが良い店ですね。

 

三浦海岸駅 青空と河津桜と菜の花 青とピンクと黄

今回の散歩の出発地は京急久里浜線の三浦海岸駅です。
三浦半島って三浦市をはじめ横浜、横須賀、鎌倉、逗子、葉山などの市区町村を跨ぐ大きな半島ですが、その中で三浦海岸はどこって感じですが半島端の東側、金田湾を囲む緩やかな弧を描く約10kmの海岸線を指すみたいです。当初、この駅は久里浜線の終着駅で駅名は現地名の上宮田駅でしたが、三崎口までの延伸に伴い三浦海岸駅に改称したそうです。なんか三浦半島を代表する感じがあり知名度アップに寄与したようですね。

訪ねたのは3月初旬の日曜日、駅にはたくさんの人が。

ここは河津桜で有名なエリアで、駅前も桜まつりの出店で賑わっています。

駅前の広場にも河津桜が植樹されていて、ここだけでも結構気分が上がりますが、駅から南西方向に延びる道を進み、河津桜の並木道を目指します。

駅から10分ほどで到着。朝10:00くらいですが歩道にいっぱい人があふれてますね。

左側にある階段を上がるとちょっと先の桜並木まで見えていいですね。

河津桜ソメイヨシノよりもピンクが濃いので青空とのコラボがいいですね。この日は天気が良く本当ラッキーです。河津桜の開花時期は2月中旬から3月初旬。まだ、冬の名残で奇麗な青空が広がりますね。

また、並木道には菜の花も植えられています。

桜のピンクと菜の花の黄色の競演もいいですよね。

青とピンクと黄。いいですね。

時々、走る京急線の赤との競演もいですね。(これは鉄道オタクだけか)

こちらは小松ヶ池。江戸時代に造られた農業用水用の池だそうです。名前の由来はこの傍に住んでいた女性「お松」の伝説が由来だとか。意地悪な姑にその日のうちに田植えを終わらせろと無理難題を言われたお松は、沈みゆくお天道様に植え終わるまで沈まないでくださいと祈ったら、また高く昇って何とかやりきることができた。しかし、その直後に地震があって辺りは泥沼化して水の中に飲み込まれたという悲話が。

そんな伝説ゆえ普段は怖い雰囲気がある池らしいが、この時期は露店も出て賑わっています。

また、この池に行く途中の道では近所の農家の軽トラが来て、

野菜の直販をしています。今年の2月頃はキャベツなどの野菜が高かったのでここも多くの人で賑わってましたね。

駅に戻る道、大きな建物を発見。

ホテルのマホロバ・マインズ三浦ですね。個人的には新卒後に勤めた会社で格安で宿泊できるということで人気があったが抽選で、何度も応募したが一度も当選しなかった思い出がありますね。少し高台で三浦海岸を眺めることができ、都心から比較的近い温泉もあるリゾートホテル。一度宿泊してみたいですね。

そして、ホテルのあったところから徒歩数分。こちらは三浦海岸。砂浜が広いですね。

昨年は運営者の高齢化を理由に海の家が開設されなかったが、今年2025年はそのあたりの問題が解決されたのか海水浴場が復活するみたいです。駅から徒歩5分という立地は良いが、湘南エリアと比べると知名度が低いので厳しいのでしょうか。是非、頑張って欲しいですね。

(つづく)

 

おまけ:京急の電車内でこんな求人広告。日本の中のアメリカで働くってちょっと憧れますね。

番町って明治の文豪、芸術家から教育、出版さらにB級文化まで結構奥深い街ですね

四ツ谷・麹町散歩の続き。

 

次は番町文人通りを有楽町線に沿った道路から西方向に戻ります。

この辺りは高級マンションが立ち並ぶ街。タワマンとは違う上品さがあります。(個人の感想)

その一角、植え込みにあるのが有島武郎•有島生馬•里見弴旧居跡の記念プレート。有島武が息子たち、この三兄弟(弴のペンネーム)が住んでいた邸宅の跡である。

そして、その傍にあるのが菊池寛の旧居跡のプレートです。有島武郎の死後、邸宅の一部を借りて一年ほど住んでいたようです。

また、一つ路地に入ったところ泉鏡花の旧居跡。

さらに200mくらい西の路地にあるのは

島崎藤村の旧居跡。いずれも太平洋戦争の空襲のためか、住居に関するものは何も残っていないが、有島武郎菊池寛泉鏡花島崎藤村と教科書で登場するような明治の文豪が表現は悪いがゴロゴロ住んでいたとは凄いエリアですね。文人通りの名は伊達ではないです。

さらにその裏にある角はフランス、欧州でも有名になった画家の藤田嗣治の旧居跡。文豪だけでなく有島生馬など芸術家も数百メートも離れていないこの辺りに住んでいたんですね。

再び文人通りを西に進み、左側を見ると下り坂、上り坂と続く道が。

こちらの通りは東郷通り。

日露戦争でロシアのバルチック艦隊を打ち破った連合艦隊司令長官 東郷平八郎ゆかりの地ですね。こちらは東郷元帥記念公園です。

この公園は旧東郷邸に作られたのですが、その部分は今工事中です。

公園北側の通りを東に行くと、

東京家政学院の校舎があります。

ここには博文館を創業した大橋佐平が創設した、私設図書館の先駆けとなる大橋図書館があったそうです。博文館は明治時代、日本最大の出版社として隆盛を誇った企業で現在の出版物専門の商社トーハン、本の街、神保町にある東京堂書店週刊少年ジャンプなどの印刷を出がける共同印刷株式会社などの元となる会社です。

そしてその傍には与謝野鉄幹らが発行した機関紙『明星』発祥の地のプレートも。ここは文学だけでなく、その出版にも大きく関わった街とも言えますね。

さらにここは『子供のための音楽教室』の開設の地。ちなみに『子供のための音楽教室』とは固有名詞で桐朋学園大学が全国29カ所で実施している音楽教室ヤマハや河合のピアノメーカーの音楽教室より先に始めていて、音楽教室始まりの地と言えます。世界の小澤征爾を育んだ地であり、そしてある意味桐朋学園の始まりの地とも言えるそうです。それにしても明確には書かれていないのは何か大人の事情があるんですかね。

そして、大妻女子大学二松学舎大学の横目に南へ500mくらい行った場所、ここは以前の記事でも紹介した英国大使館の裏の通り。

この坂の上にあるのは

コンビニで見かける女性向けコミック雑誌で有名な、最近だとドラマ「子宮恋愛」で話題となったぶんか社。ちなみに「ぶんか」は漢字だと「文華」だそう(創業時の名前は日本文華社)で「文化」じゃないそうです。まぁ昔は男性向け雑誌のペントハウス岩谷テンホー氏の下ネタ漫画で有名な出版社なので「文化」ってことはないですね。

そして、その傍には

宝島社です。豪華なおまけがつくムック本で有名ですね。以前は雑誌「宝島」を中心に反社を扱ったり、政治的にもかなり過激な主張の内容が多かったのですが、

最近本屋で平置きされているのをよく見るミステリー「謎の香りはパン屋から」を出版するなどだいぶ落ち着きましたね。

ちなみにこのビルの下には訪問しなかったのですが日本カメラ博物館があります。

なんか番町って明治の文豪、芸術家から教育、出版さらにB級文化まで結構奥深い街ですね。

四ツ谷なのにセブン? そして四ツ谷より番町や麹町?

今回の散歩の出発地は四ツ谷駅

どうでも良いが四ツ谷と言えば80年代のアニメ「めぞん一刻」に登場していた怪しい隣人「四谷」さんですね。さらに四谷怪談のイメージも加わり、怪しい感じもありましたが社会人になって来てみると特に何の特徴もあり、JR中央線の快速から各駅停車(総武線)への乗換駅くらいの印象しかなかったですね。
しかし、東京メトロの丸の内線、南北線も停まり、結構交通の要所だったりします。

商業的にはそれほどパッとしない四ツ谷駅ですが駅前には上智大学があり、時間によっては聖イグナチオ教会の鐘を聴くことができます。(詳しくは昔の記事を)

駅から国道20号新宿通りを東に進むと見えるJPR麹町ビル。ここには普段散歩でお世話になっている株式会社駅探が入ってます。凄く個人的ですが、私が大学卒業後最初に入社したT社の一事業として、こちらの前身となるWEBサービス「駅前探検倶楽部」が立ち上がり、その頃自分の仕事に疑問を持ち始めていて転属願いを出したのですがあえなく撃沈。その後、某地図会社に転職したのですが、その会社が10年後くらいに駅探の上位株主に。何の因果か先ずかな期間ですが一緒に仕事をすることになりました。人生って面白いですね。

その傍、新宿通りから少し細い道、番町中央通りに入ったところにある大きなビルは

セブン&アイホールディングスの本社ビルです。セブン&アイと言えばコンビニのトップブランドのセブンイレブンをはじめイトーヨーカドー、ロフト、赤ちゃん本舗のチェーンを傘下とする大手流通小売の持ち株会社
となるとこちらは本社直下(物理的に)のセブンイレブンでしょうか?

このビルの横には同じく傘下のデニーズがあります。

一般の人も使えるけど一応社食なんですかね。

この細い道路を少し東に進むとこちらの二番町センタービルには国際協力機構、通称JICAが入っています。大通りから入ったところにデザインに凝った、そこそこ高いビルがあるのは珍しいですね。

その隣にあるのは

ベルギー大使館です。個人的にベルギーは昔の仕事でよく訪問していたのでちょっと親しみがあります。

外から見えるロビーには、ベルギー漫画の「タンタンの冒険」のタンタンの像がありますね。大国は高い塀に囲まれてセキュリティーバッチリという大使館が多いですが、小国やアフリカ、中南米の国は普通のビルにテナントとして入っている大使館も結構あります。ベルギー大使館は専用ビルみたいですが、ここまで外から見えフレンドリーな感じがあるのはちょっと珍しいですね。ちなみにタンタンのスペルはTINTINで小学生男子が見るとちょっと楽しくなっていしまいます。

また、この傍には茶道表千家の東京稽古場があります。

何か国際色豊かですね。

さらにもう少し東に進む有楽町線の麴町駅に。四ツ谷駅麹町駅ってこんなに近かったんですね。こちら、お膝元のセブンイレブン麹町駅前店ですが、

いつものオレンジ緑赤のカラーリングではなく、シックなデザインになっています。古い町並みのある観光エリアなどでこんな感じのデザインを見ますが都心の普通のエリアでは珍しいです。
なお、ここは2019年にセルフレジを導入したりと実験店舗のようで特別扱いですかね。

それにしても、今回の散歩は結果的には麹町散歩の続きになってしまいましたね。
前回は気付かなかったが日本テレビの番町スタジオの前には駐日ローマ法王(教皇)庁の大使館がありました。ローマ法王で大使館?というのは違和感ありますが、バチカン市国の大使館というとわかりやすいですね。

それにしても番町って駅がないので地方から見ると知名度低いですが都内では高いのでマンション名によく使われいます。高級住宅街としてのブランドがあるようで。むしろ四ツ谷の名称はほとんど使われていませんね。

(つづく)