未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

当たり前だが理解できないことを教えるのは無理だけど

自分はアインシュタイン相対性理論について、光に近い速さで動くとゆっくりと時間が流れるという、遠くの星に行った宇宙飛行士が地球に帰って来た時、その人は若いままだけど地球に残っていた人は年を取っていたあおのウラシマ効果の現象は何となくわかるが、理論そのものはほとんど理解できていない。

二十代のころ何度かチャレンジしたが表面的になぞった感じで、自分の知識の血肉になるほどは理解できなかった。おそらく、自分の頭脳の限界を超えているのだろう。

 

昔、人と人は話し合えば必ず理解し合えると思っていた。偶然にも海外の人と仕事をする機会があり、仕事に関する考え方というか慣習の大きな違いにカルチャーショックを受けましたが、それでも何度かコミュニケーションを取ることで、お互いの考え方を理解して最終的には円滑に業務を進めることができました。

 

そんな成功体験から一時期、どんなに意見が合わない人とも根気よく話をすればお互いの考え方を理解し、両者が納得がいく最適点を見つけることができるのでは、仮にできない場合は自分の努力が足りないだけでは思っていました。

 

しかし、40歳も半ばを過ぎるとそれは幻想であると気付き始めました。それでもどこか淡い期待を持っていましたが、50歳を超える頃には幻想であると断言できるようになりました。これには相手がこちらに歩み寄る気が一切ないとか、相手の学力不足でこちらの言っていることが本当にわからないのか等いくつか理由はあるかと思いますが、いずれにせよ当たり前だが理解できないことを教える、理解してもらうのは本当無理です。

 

そして、自分の考えを理解してもらうことにいろいろ手を尽くしてもダメだった場合の対応は2つ。

ひとつは相手の考え方の延長線上で意見を誘導、時には嘘をつき、騙して自分の考えに近い方へ持っていく方法。相手方が不快にならないよう上手くやれるのならば一概に悪いやり方というわけではなく、むしろ最終的に皆のハッピーに繋がるのならばある意味ベストな方法とも言えますが、仮にそのスキルがあったとしても信条に敵に二の足を踏んだりしますね。

もう一つは「諦める」ですね。自分の意見は引っ込めて相手の意見に従うしかないですね。

 

なお、実は自分自身が相手の言っていることが理解できないということもあります。

自分にとってのアインシュタイン相対性理論のように理解できない理論だった場合。

特に若者の感性に基づいた理論に。

だから、ある程度の年齢ならば「諦める」の選択肢を取って、ちょっとしたギャンブルとして大きな心で見守るというのも試すべきなのかもしれませんね。