未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

三島市へようこそ その3:ビッグな宿場町三島

静岡県三島散歩の続き。

 

こちらは三嶋大社から徒歩5分くらいのところにある三嶋暦師の館

こちらは三嶋暦を発行していた河合家の家屋で、今は博物館になっています。三嶋暦とは女性や子供でわかるように仮名で書かれた暦(カレンダー)で、三嶋大社で参拝客に頒布していたそうです。歴史は古く室町時代からあったそうで、仮名暦としては日本最古だとか。遠くからの参拝客に土産として人気があったようで、神社側も良い収入源だったようです。

Wikipedia"三島暦"より。(JGDfgdfgf1 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77157574による)

この三島鍋は文様が三嶋暦に似ているからという由来があります。似ているかどうかというと微妙ですが、三嶋暦はその名前に使われるくらい有名だったようですね。明治時代には廃業したみたいですが、今でも三島市内では復刻版として売っているようです。

こちらは旧東海道をさらに東に進んだところにある新町橋。ここが三島の宿場町の東端になります。江戸時代はここに門があり、日暮れには閉じるのでそれまでに箱根を下って街に入る必要があったそうです。この橋の下を流れる川は大場川ですが、昔は賀茂川と呼ばれていたそうです。平安時代政治犯というか勢力争いに負けた貴族の多くが、京の都からここ伊豆の国へ流されたそうで、その時、都を偲んでこの川を賀茂川(鴨川)と呼んだそうだ。

この橋の袂にはお地蔵さんがあるのですが首切り地蔵と呼ばれています。ここは街の外れで罪人の処刑が行われ、首が晒された場所。その魂を鎮めるために作られた地蔵だそうです。

再び三嶋大社へ。鳥居の前から真っ直ぐ伸びる道は下田街道。伊豆下田に繋がる道です。

このすぐそばにある三島市役所別館前にはからくり人形がありますが、今は動いていません。

そして、昔懐かしの丸ポストがあります。

こちらは夏に行ったときに見かけた日光陶器店の風鈴売りです。運がいいと三嶋大社周辺で会えます。

大社から旧東海道を西へ7-8分進むと2つの本陣跡の小さな石碑があります。

旧東海道の南側が樋口本陣。

北側が世古本陣。本陣が2つあるのは大きな宿場町の証拠と小学校の教頭先生が自慢げに教えてくれました。箱根八里の前後で必ず泊まる場所であり、大きな神社があり、富士山も見え、女郎衆遊びもできる一大観光スポットということで大きな宿場町だったことは確かのようです。

そこから北へ少し行った場所に長円寺という寺がありますが、その門は世古本陣の正門が残っています。今まで本陣があった場所をいくつか訪問していますが何も残ってないことが多いので貴重ですね。

こちらはそこから徒歩1分くらいの場所にある白滝公園。ここにもカラクリ人形があり井戸水を汲むみたいですが動いていませんね。

ここにも懐かしの丸ポストがあります。

こちらの公園は湧水による池と清流があります。

こちらは11月の様子ですが、

湧水量が多い夏は勢いよく流れています。新幹線の駅から徒歩10分、商店街傍の住宅街の真ん中でこんな清流があるのは珍しいですね。

公園の中に子供用のジャブジャブ池もありますが、公園の隣に流れる桜川も浅いので、こんな風に水の中を散歩すると気持ちがいいです。(青い服が息子です)

ちなみに三島という地名は南北に走る大場川(賀茂川)、桜川、御殿川、源兵衛川の4つの川で分断され、3つの島があるように見えることから三島と呼ばれるようになった説が有力のようです。

(つづく)