未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

三島市へようこそ その4:鎌倉殿の13人縁の隠れスポットをブラブラ

静岡県三島散歩の続き。と言っても今回は隣の清水町も訪問。

 

三嶋大社から下田街道を南に徒歩7分くらいの場所に言成(いいなり)地蔵という地蔵が祀られています。江戸時代、大名行列が進む中、母親のいる反対側に向かって行列の前を6歳の女の子が横断し、配下の侍に捕えられました。殿様に「お殿様の言いなりになりますから、助けてください」と何度も懇願されたが許されず手討ちになってしまいました。その娘を憐れみ、近隣の人が建てたのがこの地蔵です。

改めて、この話を調べてみたら、当時知らなかった事実が。実はこの殿様は娘の態度に一旦許す方に気持ちが傾いたが、一緒に助命を懇願していた寺の上人がポロっと娘の父親は尾張出身だと漏らし、たまたまだがその殿様が大の尾張嫌いで、やはり手討ちすることになったとか。しかも、父親はその後、箱根で待ち伏せし、猟銃で殿様の暗殺を企てたが、籠の中は無人で暗殺失敗。そして、その父親は自殺したとか。

小学生のころ、この言成地蔵の劇で父親役をやった思い出がありますが、娘の訃報を知って猟に出ていた山から一目散で帰るというシーンしかなかったです。実はさらにこんなドラマがあったとは驚きですね。

言成地蔵から3分くらい歩いたところに小さな祠があります。妻塚堂(さいづかどう)と呼ばれていて、こちらは源頼朝に纏(まつ)わる逸話があります。大庭景親が頼朝を暗殺しようと画策。その企てを知った景親の妻は源氏に縁のある人物で、頼朝に化けて代わりに殺されたそうです。その妻を弔うために建てたのがこの妻塚で意外と地元の人でも知らない話です。

大庭景親大河ドラマ鎌倉殿の13人では國村隼さんが演じていて、序盤、頼朝の前に立ちはだかる敵役として好演してましたが、自分のミスとはいえ妻を殺める原因である頼朝が憎くてたまらなかったんでしょうね。

こちらは妻塚堂から徒歩3分のところにある間眠神社。「間眠」と書いて「まどろみ」と読みます。

ここも頼朝縁の地で未だに1979年、頼朝が主役の大河ドラマ草燃える」のときに作られた看板が残っています。

こちらは頼朝が平家打倒のために三嶋大社へ百日参りをしたとき、休憩で昼寝をしたという逸話が残っています。

頼朝は松の木の根元でうたた寝をしてたそうだが、その松の6代目がここにあります。

ここからは富士山を眺めることができますが、当時は電線はもちろん、家もそれほどないもっと良い眺めだったでしょうね。

そして大きく移動。三島の隣の清水町と沼津市の境界にあるのが黄瀬川。

かつて源平の富士川の戦いで頼朝側が陣を敷いていたあの黄瀬川です。

そして、その傍には八幡神社があります。

こちらの神社は奥州平泉(岩手県)から打倒平家のために駆け付けた源義経が頼朝と涙の対面をした場所だと言われていて、ここには二人が座ったと言われる石が残っています。三嶋大社の頼朝、政子の夫婦腰かけ石に引き続き、兄弟腰かけ石です。

ここには頼朝が柿を食べたら渋柿だったため、ねじって傍らに捨てたら、その種が育ったという2本の柿の木が残っています。2本の木は根元がねじり、絡み合っていることから「ねじり柿」という名が付いているそうだが、仲良き兄弟では終わらなかったちょっと皮肉的なエピソードですね。

ここからも当時とは少し形を変えたが富士山を望むことができます。

(つづく)