未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

三島市へようこそ その2:三嶋大社に頼朝、政子のラブベンチ?

静岡県三島散歩の続き。

 

最大の観光スポットである三嶋大社を訪問します。

最寄り駅は伊豆箱根鉄道駿豆線三島田町駅。最近、駅名の下に「三嶋大社前」の記載が入るようになりましたが、ここから三嶋大社までは徒歩7分くらいです。

ちなみに伊豆箱根鉄道は地元では「いずっぱこ」と呼んでいます。

こちら三嶋大社の大鳥居。

こちらは歌川広重東海道五十三次の三島宿(朝霧)で描かれているのはこの場所です。

(Wikipedia”三島宿”より)

つまり、この鳥居の前の道路は旧東海道で、左側方向は沼津、右側方向は箱根になります。

 

境内に入ってすぐ右側にあるのがこの「たたり石」 昔は東海道の往来の真ん中にあり、行き交う人の整理に役立っていたとか。糸のもつれを防ぐ道具のたたり(絡垜)からこの名が付いたが、往来が頻繁になってからこの石を動かそうとすると災害が起きたことから「祟り石」となったそうだ。それでも1914年の道路工事でに境内へ移動したそうだ。ちなみに現在は交通安全の霊石として信仰されているそうです。

こちらは神馬舎(しんめしゃ)。この神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登るという伝説があるとか。ちなみに北斗の拳が流行っていたころは密かに黒王号と呼んでいました。

そして、この横には二つの石がありますが、これらは平家打倒祈願で三嶋大社に百日参りしたとき、源頼朝北条政子が座ったという伝説が残る腰掛石です。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも百日参りに行くシーンは描かれていましたね。ほんの一瞬ですが。

左の大きい方が頼朝用、

右の小さい方が政子用だそうです。今は下に石畳を敷き詰めて、見どころポイントにしてますが昔は木の看板はありましたが、無造作に置かれていました。時効だと思うので告白しますが、昔、この石に上ってはジャンプするという遊びをよくやっていました。今、やると子供でも確実に怒られますね。

ちなみに今は頼朝、政子のラブベンチと言われているとか、いないとか。

こちらは源頼朝旗挙げ出陣の絵馬。大河ドラマでも描かれていましたが、平家打倒の挙兵をしたのは三嶋大社の祭りの日の8月17日。祭りで気持ちが緩んだ日の奇襲という話でしたが、高校の日本史の先生によると当時は昼間に祭りに来た男女が良い人を見つけ約束を取り付け、夜、神社の周りで「いそしんでいた」とか。そんなことが許される日だったそうです。それにしても背景は季節がおかしいですが、受験合格を祈願する人が多いので、この神社にもたくさん植えられている満開の桜が描かれていると予想されますね。

また、お祭りの時、流鏑馬神事が行われます。これはその神事を描いた絵馬です。

この絵馬の形は流鏑馬の的の形を意識しているのでしょうか。

的を射るというのも合格につながるので、絵馬の題材として最適なんでしょうね。

頼朝以外も本来、神社でお祭りしている恵比寿さんも絵馬になっています。

東側の奥には神鹿園があります。こちらの鹿は1919年に奈良の春日大社より譲り受けた8頭の鹿の子孫だそうです。そう言えば、鹿のエサを売っていますが、あげるとお辞儀をしますね。

そこの群れは雄ですね。

角の跡があります。確か伸びすぎる危険なので春に角を切り落とし、その角は祭りの「しゃぎり」囃子で使われる鉦を叩く棒の頭に使われているはずですね。

こちらに固まっているのは角の跡がないので雌?それとも子供?

こちらは天然記念物となっている金木犀。樹齢は1200年を超えるとか。この神社が出来たのは奈良時代ですが、ほぼそのころかあったそうです。源頼朝も見てたかもしれません。今はこじんまりしていますが、昭和のころは30mを超す巨木でした。秋に二度花を咲かせ、その香りは8km離れた場所にも届くとか。確かにそのころになると実家付近でも香りが漂っていた感じがします。(近所の金木犀より開花時期が早いので勘違いではないと信じていますが)

こちらは舞殿。1月7日にここで田祭が行われ、餅がまかれます。餅を拾うのは好きだったのですが、正月の餅が余っていて怒られたこともありますね。

こちらが本殿です。恵比寿様なので商売の神様です。

初詣の正月三が日は静岡県で一番多い50万人を超える人が参拝します。

子どものころは除夜の鐘を聞きながら年が明けた直後にお参りをしていたのですが、年々参拝客が増え、そのうち3時近くまで行列すると聞いて、近年は元旦の朝八時ころに参拝してますね。

(つづく)