未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

科学部でパソコンに目覚めた

今週のお題「わたし○○部でした」

 

中学の時、科学部に所属した。きっかけは憶えてないが、運動が苦手で理科が好きだったからというくらいで積極的な理由ではなかったと思う。

 

入部したてのころは風車を作って発電するとか、生物観察と言って近所の池で大量のザリガニを捕ってきて理科室の横のベランダで飼っていたりしましたね。(誰も来ない夏休みに全滅してしまいましたが。。。)

 

そして、秋ごろに大きな展開が。

 

顧問の先生が部の予算全額を使って、英シンクレア社のZX81というパソコンを購入。当時パソコンはマイコンと呼ばれ、日本の各電機メーカーも発売していたが、マニア以外には知られていない存在だった。この機種は画面が白黒でメモリー(RAM)もたったの1KB(現在の8百万分の1くらい)。そのころでもかなり非力の部類に入りますが、29,800円と超格安でした。

そのマシンでBASICのプログラミングを勉強。予算がなくプログラムを保存するためのテープレコーダーがなかったため、毎日一から入力してました。と言ってもメモリの制限で30行くらいの短いものしか書けなかったですが。

乱数を覚えて、コンピューターと出た目を競うサイコロゲームに始まり、スクロール機能を使ったスキーゲームを作り、そのうち64×48ピクセルと解像度は低いがグラフィックにも挑戦したりしましたね。

 

そして、その冬に満を持してマイパソコンを購入。小遣いやお年玉などをかき集め、当時懇意にしていた近所のナショナル(現パナソニック)のお店にてNEC PC-6001を5,000円引きの84,800円で買いました。おまけでついていたのはASCII社のAX-2宇宙輸送船ノストロモというゲーム4本入りのパッケージ。(こちらの「ときめきの旅」ブログ参照。) 結構ハマりましたね。ゲームをやり込んだだけでなく、中身のプログラムコードを解析して残機を増やしたりする改造をしてましたね。(当時の社会では改造が許容されていて、個人で楽しむ分には文句は言われなかったですが、現在では犯罪行為として取り締まられるので注意です。)

 

あと、当時パソコン初心者にはバイブルであった「こんにちはマイコン」も隅から隅まで熟読してました。テニスゲームはデパートの展示パソコンでその場で打ち込んで遊べるくらいコード全てを暗記してましたね。

 

と、約40年前の話ですが、このときパソコンの沼にどっぷりハマったからこそ、その後の仕事でも蓄積された技術貯金が生きて、食い扶持を稼いでくれたと。

当時、部活でパソコンに出会ってなければ、どんな人生を送っていたのか想像もつきませんね。

当時の顧問の先生に感謝、感謝です。