今週のお題「ゲーム」
パソコンを趣味で始めたのは1983年。
すがやみつる先生の名著「こんにちはマイコン」でBASICを覚えて、自分でゲームを作ったりしてました。
中学、高校の時は部活でパソコン三昧の生活。
そのころ、毎月愛読していたのが電波新聞社発刊の「マイコンBASICマガジン」、通称「ベーマガ」です。
1983年ころはパソコン(マイコン)関連の雑誌としては、工学社のI/Oや電波新聞社の月間マイコンなどがありました。プログラムはネットでダウンロードするのが当たり前の時代を過ごしている若い世代(~30代前半)にはピンと来ないと思いますが、当時市販品も含めプログラムコードが雑誌に載っていて、自分で手入力することでゲームをゲットすることができました。しかし、I/Oなどに記載されているプログラムはコード入力に5日以上かかる莫大な量で、しかもアセンブラコードの16進数が羅列した呪文。写経の修行以外の何物でもなかったですね。
そんなとき、ベーマガは素人が投稿したBASICプログラムがメインで、短いと1時間くらい、長くても1日で入力できる量。そして、プログラム以外の記事も学生でもわかる、柔らかい内容のものが多く、当時中学生だった自分にとっての救世主でした。
当時は、自分でゲームのコード入力で遊ぶだけでなく、アルゴリズムやプログラム構成を分析して、デザインを変えたり、難度を変えたり、残り自機数を増やしたりしてました。また、当時のBASICはメーカーはおろか、機種モデルごとにスペックや記述方法が異なるため、掲載プログラムも機種別でした。自分の持っていない機種でも面白いゲームがあるときは移植(別機種のプログラムが動作するようにコードを改修すること)もやってました。今となっては、このときの経験が自分のエンジニア人生=社会人人生の下支えになっていますね。
さらに高校時代は過去の記事でも少し書きましたが、ジャンケンの「あっちむいてホイ」でバトルするRPG、当時学校で流行っていたトランプの「ドボン」(ページ1の派生)などのオリジナルゲームを作ってましたが、掲載されなかったらショックだなと思い投稿はしませんでした。今思うと、挑戦しておけばよかったと少し後悔しています。
また、ベーマガの良かった点はもう一つ。I/Oや月間マイコンでの記事は本格的なエンジニア向けのものが多かったのに対し、ベーマガは柔らかい記事が多く、ゲーム紹介にも力を入れていました。パソコンのゲームだけでなく、ゲームセンターにあるアーケードゲームも扱っていて、さらに開発裏話も載っていて、当時わくわくしながら読んだ記憶が残っています。
しかし、80年代後半くらいからゲームは大規模化、本格化の時代へ。個人で作るものではなくチームで作るものになり、大学生活の後半にはこの世界と距離を置くようになりました。そして、ベーマガも時代の流れで2003年に廃刊となっていたんですね。
今的に言えば陰キャな趣味ですが、改めて思い起こしてみると、結構充実した青春時代だったかもしれませんね。
なお、ベーマガの裏表紙はパソコンの広告が多かった。
セーラー服の工藤由貴を採用した日立H1の広告ではタイトルが「初恋」。
ばあちゃんにエロ雑誌と勘違いされました。
(ゆうちゃんの何でも屋さんのホームページの写真を参照させていただきます)
※この記事を書くにあたり、ベーマガを調べてみたら2年前にイベントがあったとか。
編集長や編さんはともかく、影さん、つぐ美さんも実在の人物だったんですね。
2008年ころ出向で五反田の会社に勤めていたのですが、近所にいたかも。