根津周辺散歩のつづきです。
根津駅周辺には古い民家が結構残っていたりします。
文化財になるほどではないですが築80年は超えていそうです。
この辺りは根津神社への道でもあり、道行く外国人観光客が興味深そうに昭和日本の住宅を眺めていましたね。
こちらは根津教会。建てられたのは1919年、100年以上の歴史があります。2001年には文化庁登録有形文化財にも登録されています。
この東京で関東大震災や太平洋戦争を乗り越えて現代に残っているのは奇跡ですね。
しかし、素晴らしい教会の建物なのに西側から撮影しようと思うと駐車場の看板が、、、隣に建物がなく、全体が見れるかと思ったがちょっと残念ですね。
日本医科大学付属病院のつつじがあった庭の横の解剖坂を上ると
夏目漱石の旧住居跡があります。
ここはロンドンから帰国後、3年という短い間だけ漱石が住んでいた場所ですが、ここで処女作「我が輩は猫である」が生まれ、その後も「倫敦塔」、「坊ちゃん」、「草枕」が執筆されました。
当時、漱石は実際に猫を飼っていたようで、その猫が亡くなった時は知人一同に死亡通知を出したとか。そんな大事に飼われていた猫だけど最後まで名前がなかったようで小説のままだったんですね。
漱石の住居跡から徒歩3分くらいの所にあるのは金土日館。こちらは昭和を代表する挿絵画家、岩田専太郎のコレクションを集めた美術館。開館は金、土、日ということで金土日館。なお、開館時間は12:00から15:00と結構短い。この時は時間が合わなくて見れなくて残念。
そのそばにある階段は「だんだん坂」。数年前は両脇は石垣で風情があったが、きれいになってしまって少し寂しい。
この階段と直行するのは汐見坂。坂名の由来は不明らしいが、おそらくここから海が見えたのと思われる。
坂の下には千駄木ふれあいの森という小さな緑地がある。
住宅地の中に森がそのまま切り取られてる。公園として小ぎれいに整備して遊具を設置したりせず、手付かずの自然が残っているのはちょっと面白い取り組みですね。
汐見坂のある薮下通りを上っていくと、小さな白蛇坂と直行する。
こちらの背後にあるのは
こちらは団子坂の頂上付近でもあります。住居の通称も観潮楼。家から海が見えたのかもしれませんね。
鴎外は坂の上の眺めの良い一等地に居を構えていたということですね。陸軍の軍医としてトップだった人物でもあるので、良いところに住めたのは当然と言えば当然ですが。
そしてこの団子坂は江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」のD坂のことですね。乱歩の営んでいた古書店がこの付近にあったとか。SNS時代の現代で作品がヒットすると自分の住居や職場を舞台にすると特定されて大変なことになるので避けているみたいですが、当時は緩かったんでしょうね。
その他、この坂にあるマンションの一角には青鞜社発祥地の記念プレートがあります。青鞜社と言えば作家であり女性解放運動家でもある平塚らいてうが設立した女流文学社ですね。
このように著名近代作家のゆかりが強い根津、千駄木。当時の住宅はほぼ残っていませんが「坂」たちが面影を少しだけ残していて、この辺りを歩くと少しだけ当時の空気を感じることができますね。
(おまけ)今回は根津駅そばの「ふくや」で昼食。
野菜ワンタンメンと
半チャーハン。なんか懐かしい、ほっとする味です。