この論争は有名であるが、どちらが勝っても大きな問題はない。
好みの問題でスーパーやコンビニに行ったとき好きな方を買えばいいのだから。
一方、現在アメリカで話題になっている妊娠中の人工中絶の賛成反対の議論。反対派の意見は受精卵の時点で「人間」であり、中絶は殺人にあたると。そして、賛成派はレイプなどの犯罪で望まざる子が生まれ、不幸になることを防ぎたいと。自分はどちらも一理あると思い、どちらか選べと言われるとかなり悩むと思います。
しかし、この議論に関しては法律としての強い力を持つため、きのこ・たけのこ論争のようなお気楽なものではないですね。
さらに、既に生まれた人を殺すことについてはどうか?
殺人に関してはおそらく国として認められている世界全ての国において、犯罪、悪いことだと認められていると思われます。これに関しては疑いの余地がないですね。
とは言うものの、例外はある。例えば、正当防衛、そして死刑執行。自分を守るため、罪人に罰を与えるための執行と私利私欲ではなく、恨みでもなく、適正と思われる理由であれば人を殺しても罪にはなりませんね。そう言えば戦争もそうですね。侵略者から自国民を守るためとか、隣国からの不穏分子から自国への侵入を阻止するためという理由により人を殺めることを正当化しています。
この辺りになるとその正当性についてほとんどの人が賛同するケースから、正当かどうかの意見が分かれるケースまで様々です。
それは民族や宗教に加え、その地域の指導者、気候・経済事情によって判断基準が変わってくる。もちろん、個人でも判断基準が変わるが、個人の判断に任せたら正に無法状態になるので、その地域性を盛り込んだ国や州の法律によって判断するようになった。
現在では法律こそ正しさの基準ですね。
しかし、殺人以外にも暴力や窃盗、破壊行為などの基準となる刑法、労働契約、貸借などのビジネスや結婚・離婚などの生活に関する論争になるようなものには各種民法が決められていますが、野良猫にエサをやって良いかや、満員電車にベビーカーを載せて良いかなどの細かな雑事までは網羅していません。
これらは極端な例を除けば著しく心身が傷つくわけでなく、また大きく財産が減るわけでもないため、法ではなくマナーが網羅する範囲となります。このマナーは性別、世代、家族構成、財産等によって大きく変わります。このため、Yahoo!ニュースやSNSなどでしばしば論争を引き起こすことになりますが、法で一本化されてないので、どれかいずれかが正しいとは言えず平行線をたどっていますね。
仮に法律化されているものでも「法の解釈」によって違う判断になって平行線となることはしばしばありますね。
本当、正しさって難しいと思います。
しかし、個人的にはこの正しさを巡って皆がいろんな声を上げることって非常に良いことだなと思います。自分の知らない意見が聞けて、より良い結論に結び付くかもしれませんから。でも、日本って普段の生活の中では複数の意見を言うことをNGとする空気がありますね。特に権力者(会社なら上司)や年長者の反対意見になるケースは。もちろん、欧米とかでも権力者や年長者の意見が尊重されるケースは多いですが、反論意見を言うことさえもNGとしているのは少ないですね。
もし、欧米であれば上司と反対意見が出す部下がいて、その後部下のやり方のほうが良かったという結果が数回あれば、上司と部下の地位が入れ替わることになったりするが、年功序列の強い日本ではそんなことは許されないので、そもそも上司と異なる意見を言わせないという文化が根付いたかもしれませんね。(ちょっと穿った見方かもしれませんが)
それでも徐々に年功序列が崩れてきたのでもっといろんな意見がいいやすくなるかもしれません。日本もいろんな正義が認められる社会になるといいですね。
(この写真は法務省です)