東銀座と言えばこのオレンジ、黒、緑の三色でもお馴染みの歌舞伎揚げではなく、本家の
「歌舞伎座」の最寄り駅です。
こちらの建物は1924年(大正13年)に建てられた第三期、その後戦後に改修した第四期の姿を再建した第五期の建物で、当時の趣きを残した作りとなっています。
その昔、海外の観光客が東京駅からタクシーで人気観光スポットの築地市場に向かうとき、銀座の街並みよりもこの「JAPAN」という感じの建物に魅力を感じた人が多かったとか。
このときの演目には歌舞伎の三大名作と言われる「義経千本桜」があります。この中のエピソードで源平合戦で非業の死を遂げた安徳天皇は女性で、しかも生きていたというベタなネタの物語が昔からあったというのが面白いですね。
この歌舞伎座の地下はお土産を売っている小さなショッピングモール。地下鉄の駅と直結していて、駅を出た瞬間目につくのはこちらのエリアになっています。
ちなみに東銀座と名乗っていますが正式な地名ではないです。この辺りも住所的には銀座四丁目ですが旧地名の木挽町の方が地元の人には馴染み深いみたいです。日本の各地で銀座を名乗っているのに木挽町の方が良いってちょっと贅沢な感じですね。
それにしても外国人が好みそうな装飾です。市場がなくなったけどまだまだ人気が高い築地から徒歩で数分のエリアなので「いかにも!」の日本土産も充実していました。
また、歌舞伎を見に来るシニア向けもターゲットにこんな苔も売っていたりします。
この歌舞伎座、隣のビルから入って建物の上に行くことができます。
屋根瓦を上から見えることができ、その屋根の上には日本庭園があったります。
こちらの瓦には歌舞伎座のシンボルマークである鳳凰丸がデザインされています。
こちらは河竹黙阿弥の自宅にあった石燈籠 と蹲踞(つくばい)です。黙阿弥は「鼠小僧」や「白浪五人男」など盗賊を主人公とした「白波物」で一時代を築いた有名な歌舞伎作者作者です。
この庭の横には歌舞伎座ギャラリーという無料の小さな博物館があります。
歌舞伎歴史解説の展示物の他、定番の顔出しパネルとかもあります。
道を挟んで南側にあるこちらの建物は松竹の本社ビル。松竹芸能、松竹映画として有名ですが歌舞伎座を運営している興行会社(グループ)でもありますね。
この時の演目は「滝沢歌舞伎ZERO」。多くのファンで賑わってますね。
1925年(大正14年)、新橋芸妓たちの技芸向上の披露の場として開場。1982年に新装したが当時の面影を残した建物になっているそうです。
この辺りの雰囲気が昭和初期の感じを残してますね。
こちらも経営は松竹。東銀座で新旧の演劇を楽しんだ後、銀座で食事やショッピング。女性をターゲットにした集客戦略なんでしょうね。
(つづく)