未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

銀だこ、吉野家、テーブルマークにニチレイ。食と言えば築地か。

築地散歩の続き。

 

銀座方面から晴海通りを進むと築地四丁目交差点にあるこの看板で築地場外市場エリアだとわかります。

この交差点にあるビルの下にある店は

築地銀だこの本店です。東京の地名を冠するタコ焼き店というのは珍しいですが魚介に強い築地の地名だとブランド力がアップしますね。

外市場エリアはどこも観光客でいっぱいですが、

少し外れ奥に入ったエリアに行くとちょっと一息付けます。ここは波除神社。築地はその名の通り、海を埋め立てて築かれた土地ですが、堤防が流されるくらい波が強かったそうです。ある夜、海面を漂う光るものを発見。それは稲荷大神御神体で祀ったところ、波が収またっというの話がこの神社の起源だそうです。

こちらは獅子頭

こちらと対になっています。お歯黒獅子とはかなりファンキーです。

祭りの時はこれらを神輿のように担ぐようですね。

また、こちら小さな神社なのですが中にはいろんな「塚」があります。

こちらは築地らしい活魚塚。

海老塚に

鮟鱇(あんこう)塚。活魚とは別に独立して塚があるんですね。

さらに「すし塚」。こうなると何を供養しているのかよく分かりませんね。

こちらは形の通り「玉子塚」海産物以外もあり、何でもアリですね。

こちらは塚でも、個人のお墓でもありません。牛丼の吉野家の記念碑です。

今は残っていませんがこの築地が吉野家発祥の地。創業店が築地に感謝の気持ちを後世に残すために作られた記念碑だとか。

そして、この路地から見えるのは築地本願寺

ちょっと、この雑多な街から見えると異質な感じがしますね。

本願寺を目指して東に進むと晴海通りに冷凍食品で有名なテーブルマークの本社ビルがあります。昔の加ト吉ですね。その後ろに見えるビルの「N」のマークはニチレイ、こちらの本社ビルも築地ですね。まだ市場の街の名残が残っていますね。

こちら築地本願寺。京都の西本願寺の別院として浅草に建立されたが明暦の大火で焼失し、築地に移転。その後、関東大震災で伽藍を焼失し、1934年に再建したのが現在の姿。古代インド様式をモチーフとしているため、お寺だけど日本っぽくない異国情緒がある雰囲気に。

こちらが有名になったのは X JapanのHideさんの葬儀が行われたときですね。葬儀の時に長い行列ができて、それを映す取材のヘリが凄かった思い出があります。

海外の人にも評価されたX Japanの聖地も築地に海外旅行者を呼ぶのに一役買っているかもしれませんね。

 

(おまけ)テーブルマークの冷凍食品、お弁当ではお世話になってます。

この「のりっこチキン」はマイベスト3に入る冷食でよく買っていたのですが、なかなかレアもののハート形が出なかったのですが、

とうとう出ました。今週はいいことありそう。