未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

銀恋? 昭和時代の終わり、バブルの盛者必衰を思う

銀座散歩の続き。

 

有楽町マリオン前の数寄屋橋から。

今は橋が残っていませんが、ここには江戸城外濠があり、場外に出るために掛けられた橋が数寄屋橋だそうです。1958年に高速道路建設のために埋め立てられたが地名として残っています。昔、晴海の会社にここからバスに乗っていましたがバス停は有楽町ではなく数寄屋橋でしたね。

その西側、高級ベッドで有名なシモンズが入っているヒューリックスクエアのビル。

その袂(たもと)には明治大学発祥の地の記念碑。前身の明治法律学校があった場所だそうです。銀座にほど近い場所に大学!という感じですが、1886年(明治19年)には神田駿河台に移ったそうです。そりゃ、こんな地価の高い場所に大学は難しいよな。

そして、高速道路の高架を挟んで南側にあるのは数寄屋橋公園

地価が高いのに贅沢な公園ですね。

一見、ただの公園ですがこっそりと時計のオブジェは岡本太郎

さすが地価にあった贅沢なものが置いてありますね。

公園の隣にあるのは、、、

小学校です。銀座エリアの中央区立泰明小学校。人数は少ないでしょうけどこのエリアに住んでいる人はいるから公立小学校は必要でしょうね。

と思ったら、学区外からも通える特認校で、少人数教育の超名門小学校だとか。

こちらの卒業生には文芸評論家の北村透谷や作家の島崎藤村の他、近衛文麿(政治家)、金子光晴(詩人)、朝丘雪路(女優)など多くの著名人を輩出しているようです。(まだ成長途中の小学校なので大学卒業生とはだいぶ意味が違いますが)

東側に戻ると大行列が。こちらは西銀座チャンスセンター。過去に何本もの一等宝くじがでている有名スポット。一等が出る確率は都民全員が買って1人あたり出るレベル。それが過去に500本以上、1年でも10本出るなんて、どんだけの人が買っているんでしょうね。

この傍には銀座の柳並木の石碑が。

銀座八丁目のほうにもありましたが、色んな所に石碑を作るくらい銀座の人たちは柳に対する思いが強いんですね。

こちらは「銀恋」の碑。「心の底までしびれるような、、、」

1961年にヒットした石原裕次郎と牧村旬子の曲「銀座の恋の物語」 おそらく70代後半以上のシニア世代が一度はカラオケでデュエット(死語?)した曲ではないだろうか?そう言えば50代の自分が社会人なりたての頃、カラオケでおじさんたちが若い新人に女性パートを歌わせていましたね。いまならセクハラ、パワハラでアウトですが。

それでも本当良い曲です。銀座を代表する歌謡曲の一つですね。

ところで、この辺りは有楽町ではなく銀座の表記が多くなります。

住所的にはこの写真左側の東京高速道路高架ガード西側が有楽町、東側が銀座ですね。

ガード下は一応銀座のようでここのショッピングモールはNISHI GINZA

銀座インズですね。

外濠環状線沿いに映画館丸の内TOEIがありますがこちらは銀座の映画館となります。

その隣にあるのはユニクロ、GU、そして最近進出した激安スーパーのOKストアが入ったマロニエゲート銀座2のビル。昔はプランタン銀座としてOL(まもなく死語?)達のファッションを引っ張て来た、ブイブイ、イケイケ(死語?)の百貨店でしたがリーズナブルなブランドのテナントに変わりました。時代ですね。

(つづく)