新橋、銀座散歩の続き。
新橋と銀座の境界に銀座の柳碑があります。
懐メロ(懐かしいメロディー)ショーの番組で良く聞いた「昔恋しい銀座の柳~」という曲だと思ったら違ったらそちらは1929年に大ヒットした「東京行進曲」という曲で、この石碑の曲はその3年後に作られた「銀座の柳」だそうです。
銀座は元々湿地帯で松や楓などが育たないということで明治時代、並木として柳が植えられたとか。しかし、関東大震災で焼失。その後、東京行進曲のヒットで「銀座に柳並木」という機運が高まり、朝日新聞が先頭に立って銀座の柳復活キャンペーンをしたそうだ。そのとき同じ作詞、作曲者が作ったCM曲が「銀座の柳」だそうで「植えてうれしい銀座の柳~」というセンスのない出だしになっています。
そして柳以外に銀座と言って思いつくのが煉瓦(レンガ)。明治時代、欧米に倣い火災に強い街づくりと言うことで煉瓦街がここ銀座に作られたそうだが、関東大震災で床などの木材部分が焼失。当時のものとしてはこちらの金春通りに遺構が残っているだけですが、銀座=西洋風の建物というイメージは残っていますね。
こちらは銀座の端っこ、銀座八丁目から見た銀座通り(中央通り)。
そして起点にあるこの建物は
銀座博品館。原宿のキディランドと並ぶ東京のオモチャ専門店のひとつですね。今でこそトイザらスなど大型のおもちゃショップは珍しくないですが、昭和の子供にとってはビル丸ごとではないが地下1階から4階までおもちゃ屋というのは憧れでしたね。
8階は劇場になっています。この時は83年組アイドル集合という濃い企画があったようで。そういえば電波少年で有名になった松本明子って一応アイドルだったんですね。
こちら銀座七丁目交差点には
高級万年筆のモンブラン本店、
その隣はパテックフィリップの正規代理店でもある高級時計の日新堂。パテックフィリップって知らなかったんですがロレックスがお安く見える超高級腕時計。安いもので300万円、中には5000万円近いものも。別に過去のプレミアがついたというものではなく新製品がこの値段って、、、
その隣の斜めのモザイクが印象的なビルはヤマハ銀座店。地下1階から5階までが楽器やスコア(楽譜)の店、さらにヤマハ音楽ホールやスタジオ、音楽教室など音楽づくし。この中でもスコアは何かの本で見たがここに来れば大概のクラシックの曲は網羅しているとか。
その正面にあるのは、これまた個性的なビルの資生堂銀座本店と
最近はあまり見なくなったがテレビ番組のスポンサー紹介では「東京・銀座・資生堂」でしたね。資生堂発祥の地でもあるが銀座と言う名前を冠することでブランドの高級感をアップさせるのにも一役買っているんですよね。
ちなみにこの2つの建物に挟まれたこの通りは資生堂のトレードマークから「花椿通り」という名前になっているんですよね。
(つづく)