前回の茅場町・日本橋・大手町散歩の続き。
読売新聞本社から日比谷通りを南に進むと永代通りと交差する大手町交差点があります。この東京は江戸時代、将軍が住んでいた江戸城を中心に発展。その江戸城の表門=大手門の前であった大手町は正に東京発展の中心地とも言えますね。そんなことで、日本のメガバンクのひとつである三井住友銀行の本店ビルもこの地にあったります。
ただし、厳密に言うと大手町交差点の南側は住所的には丸の内ですが。
といっても「丸の内」という地名も江戸城の堀の内側、元々有力な大名たちの屋敷があったエリアで重要な地であったことは間違いありません。
この交差点対角には何かの石碑があり歴史的に重要な記念碑かと確認したら、それは「日本歯科大学発祥の地」の碑でした。
日本歯科大学は東京歯科大学、日本大学と並んで歯学部御三家といわれるているそうですが、別に日本で初めての歯科大学というわけではないようで、ここは単純に「日本歯科大学」の発祥の地みたいです。現在、日本歯科大学は麹町に引っ越していますが、この地価の高い大手町に記念碑を残すとは余程強い思いがあったんでしょうね。なお、日本歯科大学は歯科関連で短大や博物館などがあり、歯科大学としては世界最大だとか。
そこから永代通りを東に進むと丸の内永楽ビルディングがあります。こちらには三菱東京UFJ銀行と三菱UFJ信託銀行(新丸の内支店)、そして三井住友信託銀行(本店)が同居してます。三菱系外の三井系も含まれている3銀行、しかも三井住友信託銀行は本店というのはスゴイですね。
ビルの下にはこんな「さわり大黒」の像があります。3銀行が丸く収まっているということなのか、こちらも丸くなっています。
この通りは大名小路。ここから東京駅方面を眺めるとこんな感じです。
広い車道に広い舗道。そして高いビルディング。
日本とは思えない風景ですね。まさに大都会東京の中心地。
隣のビルに新丸の内支店があったのに。
ここは電話交換創始の地だそうです。と言っても電話交換と言っても若い人にはわからないかも。50代のオジサンでも見たことはないですが、昔電話をかける場合、受話器を上げる(これも死語)と交換局にいる交換手に繋がり、電話番号を伝えると交換手が手動で相手の電話に繋ぐ作業を行い、やっと相手と通話できるというものでした。
ちなみに、当時、交換手は女性の人気職業だったそうです。
こちらのビルは元は1920年に建てられた日本工業倶楽部会館の建物で、国の登録有形文化財になっています。しかし、実はこの5階部分は昔の形のままでその上には高層ビルが建っています。
この下は大正の煉瓦造り、上は平成の高層ビルという珍しい建物の隣にあるのは
新丸の内ビルディング、通称「新丸ビル」です。
こちらは南側から見た新丸ビル。BEAMSの文字が良いアクセントになっています。
こちらは6月に来た時の写真ですがこのビルの7階はテラスになっていて、飲食物の持ち込みはできませんが無料で休憩できます。
ここからベンチでのんびりと東京駅全体を眺めることができます。
また、夏だとそこに植えられている木がブロッコリーのようですね。
こちらは7階まではショッピングモールやレストランですが、室内の明治大正期のモダンな内装を見るだけでも価値があります。
なんか非日常体験できる日本の摩天楼「丸の内」ですね。
(つづく)