銀座散歩の続き。
不二家とプリマハムの大きな看板が見えるこちらの景色、数寄屋橋交差点。
80年代中頃、親の同伴なしで東京に出掛けた中学時代。
渋谷よりも、新宿よりも、東京と言えば銀座。
そして、JR(当時国鉄)での銀座の最寄り駅の有楽町駅改札をでて1分も歩くと見えるこの風景が「ザ・東京」という感じですね。
渋谷ほどではないですが、ここのスクランブル交差点も多くの人が行き来します。
東京って本当人多いと思いますね。
交差点北にあるのは有楽町マリオン。竣工は1982年。当時の高層ビルはビジネス用が主で外観もお堅いデザインが多かったので、ショッピングの聖地銀座にほど近い場所に外観も商用メインの洒落たデザインの高層ビル(そこまで高くはないが)と言うことでマスコミを賑わしてましたね。
と言っても騒いでいたのはここに本社があり、このビルの経堂オーナーでもある朝日新聞だけだったかもしれませんが。
ビルの裏口っぽい場所にひっそり解説のプレートがあったります。
実際は裏口ではなく、入り口ドアには朝日新聞記念館の文字。
落語などの大衆演芸等のイベントに使われる有楽町朝日ホールの入り口ですね。
マリオンの2つのビル、右側はルミネ。昔は有楽町西武でした。西武としては銀座への出店として気合い入っていて、バブル期はすごい勢いがあったのですが、だんだん百貨店ニーズも少なくなり2010年に撤退。1980年代の最盛期は日本一の流通グループでしたが。。。
左側は阪急メンズ東京。こちらは阪急百貨店からターゲットをメンズに絞りリニューアル。西武とは異なり球団を売ってしまったが、業績の方は悪くないようですね。
そして、このマリオンで有名なのはこの時計。
マリオンには松竹系の映画館、丸の内ピカデリーがあります。(地名的には全然丸の内ではないが)
この時計前は待ち合わせスポットとして有名でした。スマホの普及により地図アプリで迷わず合流地点にたどり着けるようになった現代の若者にはピンと来ないかもしれませんが、昔の待ち合わせ場所は誰もが知っている目立つモニュメントの前でないと難しかったですからね。
60代以上の夫婦の初デートはここで待ち合わせという人も結構いたと思います。携帯がない時代、本当に来るのかドキドキの時間をここで過ごし、会えた時の嬉しい甘酸っぱい感情を思い起こす場所だったかもしれませんね。
これができる前もここには戦前から日本劇場、通称「日劇」があり、歌謡ショーやミュージカルなどの催し物が行われていました。
有楽町で待ち合せて、映画や演劇を見て、銀座でショッピングや食事と言うのが東京近郊に住んでいた今のシニア世代憧れの定番デートコースだったようですね。
マリオンのビル下の植樹には1950年代の名曲、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の歌碑があります。このヒット曲を聞いていた70代以上のシニアにとってはタイトル通り、有楽町で待ち合せてデートすることは東京のみならず、全国の地方の人にとっても憧れだったんでしょうね。
(つづく)