前回の両国散歩の続きです。
ここ両国公園も一見普通の児童公園ですが、
勝海舟生誕の地だったりします。
このそばに両国小学校があります。
勘亭流で書かれている看板が大相撲の聖地、両国らしいですね。
この敷地の隅には芥川龍之介の「杜子春」の一部を抜粋した文学碑があります。
京葉道路沿いのここから歩いて2分くらいの三叉路の交差点に芥川龍之介の生育の地があります。(生誕の地は築地駅そばの聖路加国際病院あたりですが)
どうやら、先ほどの両国小学校に通っていたようですね。
こちらは本所松坂町公園となっていますが、
忠臣蔵で有名な吉良上野介邸跡です。つまり、あの討ち入り事件の現場となります。
この公園は狭いのですが当時の屋敷の広さは2,550坪=8,400m2。公式のサッカー場の7,140m2より広いとはかなり有力な家だったのでしょうね。
ひっそりと、みしるし洗い(討ち取った首えを洗った)の井戸が残っているのは何ともいえませんね。
そして、こちらは回向院。
三門の仁王像
三門を抜けると最初に目に入るのは相撲好きは必見の力塚。
回向院のホームページによると相撲は江戸時代、公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていましたが、その勧進相撲が初めて行われたのがこの回向院だそうです。この力塚は昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑となったそうです。
こちらは鼠小僧次郎吉のお墓。金持ちから千両箱を盗み町民に小判を配ったというのは実話か伝説かわかりませんが鼠小僧そのものは実在していたんですね。
長年捕まらなかったので、こちらの墓石を削って持っているとその幸運にあやかれるとか。ギャンブルのお守りとしても有名だとか。これは江戸時代からの風習で、削るための墓石「お前立ち」が用意されていますので気兼ねなく削ることができます。
そして、その横にあるのは猫塚。
両替屋の飼い猫にいつも魚を与えていた魚屋が病気で商売ができずお金に困った時、猫が小判を二両持ってきて、なんとか食つなぐことができ病気も治ったとか。しかし、猫は小判をくわえて逃げるところを両替屋が見つけて殴り殺されてしまった。魚屋はその猫の死骸をもらい、回向院で葬ったのがこの猫塚の始まりとか。
この猫が以前記事にも書いた世田谷の豪徳寺の人を招くほうの招き猫とは別の小判を持っていてお金を招く方の招き猫のルーツのひとつとか。また、猫に小判もここからきているのでは?という話もあります。
また、こちらは馬頭観音堂ですが徳川4代将軍の愛馬を供養するために建てたとか。
この馬頭観音や猫塚をの他、軍用犬、軍用馬、中にはオットセイなどいろんな動物たちの慰霊碑が立っており、ペット供養のお寺としての先駆けだとか。
こちらは猫用の献花台。
こちらは犬用の献花台。
こちらは願い事が成就すると塩を供えたことから塩地蔵と呼ばれたお地蔵様。
なお、この寺の始まりは明暦の大火のときの10万を超す死者を弔う慰霊に建てた万人塚が始まりで、その後も安政の大地震、関東大震災の犠牲者、水死者、焼死者、刑死者などの無縁仏も弔っているそうだ。また、水子供養もこの寺が発祥だとか。
いろんなものを受け入れる懐の広いお寺ですね。
なんか両国は江戸や明治などの近代史を知っている人から見たら著名人の聖地のワンドーランドですね。今回の散歩ではまだ7割くらいしか見れなかったのでまた訪問したいですね。