前回の両国 江戸東京博物館その2の続きです。
時代は戦後へ。こちらは1960年のダットサンのトラック、時代は高度経済成長へ。
こちらはスバル360。軽自動車の660ccエンジンの3/5、中型の400ccバイクよりも小さい排気量だが当時庶民でも買えたマイカーとして大ヒットしたそうだ。今見てもデザインがいいですね。ちょっとヨーロピアン(イタリア、フランス)っぽい感じが。
1964年の東京オリンピックのポスターと表彰台。この時は国をあげての大盛り上がりだったんでしょうね。それに比べて今年のオリンピックは、、、いろいろ残念です。
このころの集合住宅のダイニングキッチンを再現。
核家族化、畳から椅子の生活へというのがこのころの最先端だったとか。
白黒ですがテレビも徐々に普及。
昭和生まれは未だにチャンネルは「回す」ろいう表現を使ってしまいますね。
トイレは和式ですが水洗に、お風呂も薪からガス釜に。
室内用の箒が吊るされているのが懐かしい。
確かに玄関に電話がありました。なぜだろうと調べたら、昔は自宅に電話がない家もあり、近所の人が借りることを前提に玄関に置く習慣があったとか。また、携帯電話がないころ、親にバレずにこっそり話をするには居間にあるより便利ですね。
また、手作りのカバーがつけている家もそういえばありましたね。
電話機は電電公社(現NTT)からの借り物でみんな同じデザインだったのでカバーをつけてデコりたい気持ちはわかります。
家具調テレビも懐かしいです。昔はテレビの上にぬいぐるみやお土産の置物が置いてあるのが標準でしたね。
こちらは魔法瓶。この花柄が懐かしいですね。
スリムボトルは75歳を過ぎた母へのプレゼントに良いかも。
日中国交正常化で1972年、中国から贈られたカンカン、ランランにより日本はパンダフィーバーに。自分も小学生のころ上野動物園で見ました。背の小さい子供も見れるように通路が大人用と子供用に分かれていました。パンダの動きが面白くて弟と一緒に見入っていたら、出口から早く来なさないと母親に怒られた記憶がありますね。
そういえば、幼稚園の時の弁当箱はパンダ柄ではなかったがこれと同じアルマイトでしたね。汁がこぼれて、お弁当を包む布が濡れるというのがお約束でした。
この椅子のデザインもどこか懐かしいですね。
そして70年代後半にはインベーダーゲーム。
インベーダーが一番流行してた頃は小学校低学年だったのであまり遊んだ記憶はないですが、高学年になり駄菓子屋に置かれるようになったころによく遊んでいました。
こちらの自転車も懐かしい。5段変速でライトが左右に付いている70年代憧れの自転車。さらにスピードメーターまで付いていればパーフェクトですね。自分は最新のは買ってもらえず、近所のお兄さんのお古を乗ってました。
原宿に現れた竹の子族の衣装。ピークは1980年だとか。
Wikipediaに当時活動していたチーム名の一覧がありますが、読んでいるとなんか恥ずかしくなります。
ラジカセも死語ですね。それしても当時サイズが大きかったですね。
この後、SANYOのおしゃれなテレコとか小型化したスリムなラジカセが流行り、自分的にはそちらのほうが馴染みがありますね。
これは未だによくわからない商品ですが、それなりに売れたそうです。
(足し算、引き算はソロバン、掛け算、割り算は電卓だったのかな。)
FIREとか懐かしすぎる。ファミコンは14,800円でフルカラーのグラフィックは衝撃的ですね。
90年代の代表的な服はボディコン。
でも、当時実物は見たことがなかったですね。
東京ラブストーリーはマンガ持ってました。VHSのビデオも懐かしい。
95年発売のWindows95。25,800円の値札シールがいいです。
このあたりから仕事はパソコン上で行うのが当たり前の時代になりましたね。
ポケベルは使わないうちにブームが終わりましたが、公衆電話で高速でプッシュする女子高生をよく見かけましたね。(文字数に関係なく1分10円だったとか)
iMacも懐かしい。モノを持つのが楽しいと思える時代の製品ですね。
初代のiPodも20年前ですか。。。カセットはおそろかCDを使ったことがない学生がいるのも当然ですね。
そして、ルーズソックスや女子高生の制服が展示される時代に。
昭和生まれはダサい制服から早く卒業したいと思っていたが、平成生まれはその反対の価値観も持っているようですね。
ということで、子供と一緒だったため、ゆっくり見れませんでしたが、それでも江戸東京博物館をかなり堪能できました。
この後、特別展をやっている1階に移動しましたが、子どもが飽きたので特別展はスルーして、その前に飾ってあるこの熊手だけ撮影しました。
また、お土産用のミュージアムショップも1階にあり、そこで文明開化のころの東京を描いた絵葉書を購入。今度はゆっくり一人で来たいですね。
(つづく)