前回の両国 江戸東京博物館その1の続きです。
江戸の華と言えば火事と喧嘩。
時代劇ではよく見かけますが、纏(まとい)の実物を見る機会はなかなか無いですね。
纏持ちを中心に屋根に上るための梯子や延焼を防ぐために隣家を破壊するための鳶口(木の棒の先に鳶のクチバシみたいな形の鐵具がついたもの)を持った火消集団。
やはり、纏持ちが一番目立ちますね。
この博物館は体験コーナーが充実していますが、纏持ちも体験できます。
滅茶苦茶重く(18kg)、家事の最前線でこれを足場の悪い屋根の上で回し振り続けることができるのは勇気だけでなく体力も必要。纏持ちになるのが江戸の男の憧れで、女性にモテるのは当然ですね。
でも、実用を考えるもっと軽くても良いような気がするが、重いのを持つのが「江戸の粋」なんでしょうね。コスパを重視する現在の若者は理解できないかも。
こちらは先日の記事で書いた一石橋にあった迷子しらせ石標のレプリカです。その時の散歩では見れなかったのですが、こんなところで見れるとは。
二八と言えば蕎麦屋の屋台です。(小麦粉、そば粉=2:8の蕎麦ですね)
こちらは寿司屋。冷蔵庫の無い時代でもマグロ赤身(ヅケですが)はあったんですよね。
この14kgの持ってみよう体験は?
千両箱ですね。もちろん、実際は中身が見えるようにはなっていませんが。
息子がだいぶ大きくっても抱っこをしていたので行けるかと思いましたがやはり重いです。体積が小さい分ずっしりきますね。これを持って逃げる泥棒は立派なものです。
こちらは野菜売りの天秤体験です。
そして、フロアは東京ゾーンに。
明治時代の石造りの建物は実際に存在した朝野(ちょうや)新聞の建物を復元したものです。朝野とかてっきり適当に作った架空の名前かと勘違いしました。
こちらは人力車。これも体験できます。
浅草で乗ると最低2,000円はかかりますが、ここでは無料です。ただし、動きませんが。
昔のブリヂストンの看板を思い出す明治時代の自転車。
これも乗ることができます。走りませんが。
浅草凌雲閣の模型。1890年明治時代に12階建て高さ56mの建物が東京にもあったんですね。スカイツリーみたいな観光スポットだったらしいですが明治末期には下火に。1914年に日本初の電動エレベーターを導入して一時的に盛り返したが徐々に廃れていき、1923年の関東大震災で崩壊。その後経営難で復旧することはなかったそうです。
こちらは浅草六区の電気館の模型。日本初の常設の活動写真館つまり映画館です。
こちらは昭和初期時代のタクシー。
市内ならばどこまで行っても一円ということで円タクと呼ばれていたそうだ。
50代くらいの人ならば日本酒の松竹梅のCMで知っているかも。
こちらはガソリン給油機。
明治後期と昭和初期のころの電話です。
左側はダイヤルがなく、口頭で繋ぎ先を交換手に伝えて手動で繋いでいた時代のものですね。
蓄音機です。レコードもCDも知らない現在の若者には不思議な機械でしょうね。
こちらは昭和初期の家の様子を再現したもの。
B29の機関銃。
こちらはM64高性能爆弾のレプリカ。
太平洋戦争時代のポスター。
空襲時の備えとして防毒マスクがあったんですね。
第一次世界大戦で飛行機による空爆で毒ガス弾が使われたがその後国際条約で禁止に。しかし、昭和初期ごろまで演習が行われていたです。右側の森永キャラメルの付録にガスマスクの紙工作があったとは何とも言えませんね。
(つづく)