未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

JALと言ったら鶴丸 羽田空港第一ターミナル

羽田空港散歩のつづき。

 

東京モノレールでは第2ターミナルと第1ターミナルは別々の駅で結構離れている感じがしますが、地図で見るとぐるっと回っているだけで直線距離では近いこと(350mくらい)がわかります。ここは地下通路で結ばれいて、動く歩道もあるので徒歩で移動してもさほど苦にはなりません。しかし、ターミナルを間違えたのか結構走っている人を見かけたりしますね。

ちなみに京急空港線では、この通路の下に『羽田空港第1・第2ターミナル駅 』のホームがあります。つまり、駅はひとつで出口方向で第1に出るか第2に出るかが変わります。

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第1ターミナル到着。こちらが完成したのが1993年(平成5年)。当時、ビッグバードの愛称で連日テレビを賑わせたのを覚えています。このときは第1ターミナルではなく、新羽田空港ターミナルでした。

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今となってはそれほどでものないですが、大きな吹き抜けで開放感がある巨大建造物は珍しかったので空港利用者より見学目的の観光客のほうが多かったみたいですね。

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こちらは出発ロビー。

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第1ターミナル側は主にJALの国内線です。

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こちらにも発着を見学できるテラスがあります。

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そういえば小学生だった1970年代後半に羽田空港に来たことあります。そのころもテラスデッキはありましたがここまで広くなかったですね。当時と同じコインを入れると見れる双眼鏡は健在です。

昭和のあの頃の感覚では飛行機は一生に一度か二度乗るくらいの贅沢。新婚旅行と退職記念旅行で乗るくらいのイメージがあり、実際、近親者だと祖父母が退職時の北海道旅行で一度利用したくらいでした。その後、格安航空券が登場してそこまで飛行機を使うことは贅沢ではなくなりましたが、当時は憧れの飛行機でしたね。

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日本航空(JAL)の鶴丸マークの飛行機が見えます。今では全日空(ANA)に負けている感がありますが、昔来た時には圧倒的にJALのほうが多かったです。JALは2002年に文字だけのロゴに変えましたが経営破綻を機に2011年に鶴丸復活。やはり、こちらのほうがいいですね。

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空港の向こうには川崎の京浜工業地帯が見えます。昭和のころ、東京では工場の排ガスや自動車の排気ガスで滅多に綺麗な青空は見れなかったですが、今はいい時代になりましたね。

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こちらは管制塔。

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赤いアーチの向こうは第二ターミナルです。

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次は第三ターミナルに向かいます。第一、第二間と異なり徒歩移動はできません。モノレールや京急の鉄道がありますが、こちらの無料シャトルバスが便利です。

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(つづく)