未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

みゆき通りからぐるっと回って銀座四丁目交差点へ ハイブランドの個性的なビルが揃っています

銀座散歩の続き。

 

並木通りを北東に進むと「みゆき通り」と交差します。「みゆき」と言うのは女性の名前のようにも思えるが漢字では「御幸」。明治天皇が皇居から浜離宮や築地の海軍兵学校に行くときに通られたということが由来のようです。シニア世代にとっては「みゆき族」1964年、この付近に出没した、既成の枠にとらわれないちょっと着崩したファッションが特徴の若者たちのことだそうで、アイビールックのVANなどのブランドが流行ったとか。この通りにある老舗のお店からは不評だったようですが。

この交差点にあるのはシャネルのビル。

そして、IWCというスイスの高級時計の店。

こちらの個性的な蛇腹デザインのビルの下は

DGのロゴが有名な高級ファッションブランドのドルチェ&ガッバーナ

今は老舗と言っても海外ブランドが多いですね。

そしてみゆき通りとここで交差するのは

ソニー通りです。銀座には企業名を冠した通りが結構ありますね。

みゆき通りをもう少し北西に進むとBREITLINGタグ・ホイヤーと並ぶスポーツ系高級時計(クロノグラフ)の店ですね。

さらに進むと都道405号線、通称「外堀通り」と交差します。

こちらは東急プラザ銀座

東側から見るとこんな感じ。

こちらの屋上のフリースペースは緑の壁で覆い周囲の雑多な看板を遮っています。

もちろん、窓際に行けば銀座の街を上から見ることができます。

2018年訪問時、ここから見えたのはエルメス(HERMES)でした。エルメスは最初の事業は馬具製造でしたから馬と人の立体看板なんですね。

そこから数寄屋橋交差点に進み、晴海通りを南西方向に行くとちぢれ麺が張り付いているような面白デザインのビルはみずほ銀行銀座支店のビル。

そして再びグッチ(GUCCI)のビル。

対面には先ほどのエルメス。壁面がすりガラスの窓と言うのも珍しいですね。

お次はコーチ(COACH)

そしてジョルジオ・アルマーニ(GIORGIO ARMANI)

その壁面に映りこんでいる隣のビルは、

ボッテガ・ヴェネタ(Bottega Veneta)、イタリアの最高級革製品のブランドのビル。

このブランドの象徴である格子状の革製品っぽさが出ているデザインですね。

そして再びヴェルサーチ。本当、高級百貨店で見るようなブランドのショップが揃ってます。しかもこの銀座エリアに複数出店してます。この辺りのブランドに縁がない生活をしてますがちょっとテンション上がりますね。

それにしても、どのブランドも個性的なデザインのビルが多いです。これも百貨店やショッピングモールでは楽しめない銀座らしい楽しみ方ですね。

個人的には銀座のブランドショップで縁があるのはこちらの方です。

高級フルーツとスイーツで有名な銀座千疋屋です。実はこちら都内デパートでよく見る千疋屋総本店の「のれん分け」で別ブランドなんですね。

あとこちらは和菓子の銀座あけぼのの銀座本店。デパートやショッピングモールでよく見るブランドです。やはり、銀座と言う名称がつくだけでブランドに箔がつきますね。

(つづく)

呪術廻戦渋谷事変アニメ聖地巡礼

今回の散歩はアニメ呪術廻戦 渋谷事変の聖地を巡りました。

 

出発点はここ。(第32話 渋谷事変より)

東急東横線/東京メトロ副都心線の渋谷駅を横浜寄りの改札を出たところにあるのがショッピングモール「渋谷ヒカリエ」の地下3階入り口付近ですね。エスカレータの上の円環が目印です。

ヒカリエはこちらのビルです。JRからだと地上から行くと思いますが特徴的なビルなのでわかりやすいです。

ただし、地下2階のエスカレータにもぐるぐる回る電子広告付きの円環がありますが、もう一つ下なのでご注意を。

五条悟が乗っていますが、(第32話 渋谷事変より)

上から見た景色。五条悟目線だとこんな感じかと。

ここは線路までが吹き抜けになっています。

ここから下に降りて(第32話 渋谷事変より)

この線路上で花御や漏瑚と戦ったでしょうね。

外に出て玉川通りとの交差点に架かる歩道橋。

そこからヒカリエ方面を見ると東京メトロのホームと連絡通路の建物が見えます。

これが第37話赫燐のオープニングで歩道橋から虎杖悠仁が見た景色です。

再び駅構内。こちらは場所が少し違いますが

この鉄道案内です。JR線がJL戦、銀座線が金座線、京王井の頭線はTEIO井之頭線、田園都市線は田園都心線でしたね。比較的実名を使っているがここだけは変えているようです。(第37話 赫燐より)

こちらは悠仁が駆け抜けた改札。

再現力高いですね。こちら近くに同じような改札があるので巡礼するときは注意。ヒカリエに近い方の中央寄りです。(第37話 赫燐より)

この改札に入り、エスカレーターで降りていくとなだらかな下り坂の通路にでます。

こちらは悠仁と脹相との戦った場所です。広いが天井が低く縦への動きが制限されるのでレーザカッターのような脹相の赤血操術「穿血」が有効であることがわかりますね。(第37話 赫燐より)

そしてこちらは二人の最終局面で戦ったトイレ。

(第37話 赫燐より)

自分以外もこの前で写真を撮っている女性がいました。

さすがにトイレですので自分も含めこっそりと遠くからですが。

若干デザインを変えてますが正にここです。(第37話 赫燐より)

一転して外へ。ハンズ(旧東急ハンズ)からアベマタワーズを目指すと途中に細い路地がある。

この細い路地を進むとあるのがこの場所。

渋谷事変編のエンディングの出だしで出てくるこの階段です。

振り向くと建物の壁にはこんなアートが。

実はここで伏黒が撮影していたのはこのアートだったんですね。(渋谷事変編エンディングより)

アニメとは関係ないがこの近くのうどん屋にある自動販売機。

場末感のあるアーティスティックな自動販売機です。

おそらくこの辺りのアンダーグランドなシーンを伏黒は撮影していたんでしょうね。

(渋谷事変編エンディングより)

(渋谷事変編エンディングより)

こちらは宮下公園から公園通り方向に抜けるJR線の下の自転車置き場。

ここはドラマなどの撮影でもたびたび出てくる有名な場所ですね。路地裏という感じであまり良くないシーンが多いですが。

(渋谷事変編エンディングより)

こちらは説明不要の超有名な109。

(渋谷事変編エンディングより)

この下はいろんなイベントをやるんですがこの時は進撃の巨人でした。そう言えばアニメ「パリピ孔明」でもラストでAZALEAとのバトルイベントをしたのもここでしたね。

ここは降霊呪術で復活した伏黒の父「甚爾」が暴れたJRと京王井の頭線との連絡通路。

さすがに岡本太郎の絵は使えなかったですね。オリジナルの方は呪術世界の禍々しさとちょっとマッチしていて良かったのですが。(39話 揺蕩-弐-より)

そんな感じで、今回紹介してない所以外でも名シーンを彩ったも場所が渋谷にはたくさんあります。改めて撮影方向は違うとはいえ、アニメと写真を並べてみると細部までよく再現されていますね。

興味ある人は是非訪問してみてください。

それにしても今年渋谷でハロウィンで集まるのを禁止してましたが、呪術廻戦を見てると百鬼夜行的なハロウィンは確かに何か人ならざる者を集める感じがしますね。

ハチ公は封印されていたし。。。

(エンディングでも出てくるハチ公)

裏通りでも高級ブランド店、銀座並木通り

銀座散歩の続き。

 

銀座通り(中央通り)八丁目あたりを進むと"Titanium"(チタン)の店? どうやら改装中のApple Storeの仮店舗のようでiPhone15販売中でした(予約受付だけみたいでしたが)。

その2つ隣はクリスタルのジュエリー、工芸品のスワロフスキー。店舗自体は各所でよく見かけますが目立つデザインですね。

こちらはアシックスのスポーツシューズブランドのひとつであり、世界レベルでコアなファンがいるオニツカタイガーの店。

PROTECA(ACE)、Samsoniteと並ぶスーツケースのブランドRIMOWAのお店。

こちらSwatch、隣はZARA。ショッピングモールにありそうなブランドが一つの通りに個別店舗としてあるのは現代においては珍しいですね。

フェラガモというブランドを知ったのは漫画。ジョジョ第四部で仗助が2万円貯めて買おうとしていた靴のブランドですね。当時は靴に2万円!(今だと4,5万円)と思ったが社会人も30年つ続けると、品質から想像される手間暇を考えると妥当と思えるようになりましたね。まぁ、自分は仕事柄履く機会が滅多にないので買いませんが。

こちらは銀座にある銀座ライオンビールのビル。実は1934年に創建した現存する日本最古のビヤホール。外観ではわかりにくいですがクラシカルな欧風デザインのホールで国の登録有形文化財だそうです。是非、夜訪問したいですね。

銀座六丁目交差点で脇道に。こちらにはBARNEYS NEW YORKというニューヨークの高級百貨店があります。

ここにはこの通りの由来にもなっている、福沢諭吉が中心になって結成した社交クラブ交詢社があります。今は建物の一部を残し、ビルになっていてそのテナントとしてBARNEYSが入っているようです。

そして道を挟んで隣にあるのは

ヴェルサーチ。正式な表記はヴェルサーチェみたいですが。

そして対面にある金色と言うか虹色と言うか緩い曲線凹凸の鏡面仕上げの特徴的な建物は

ルイ・ヴィトンですね。

ここで有名な並木通りと交差します。この傍にはGUCCI(グッチ)もあり、銀座通り大通りから外れた裏通りなのにとんでもない高級店が軒を連ねてますね。

こちらはGUCCIのレストランGUCCI OSTERIAの入口。ミシュラン3つ星シェフら考案のメニューを出す高級イタリアンレストラン。ランチで16,000円から、2人分のチーズ盛り合わせで6,000円と。。。コースの1メニューに微妙な日本語訳の「ラーメンになりたいパルミジャーナ」と、、、なんか銀座らしいですね。

その隣はハイアットセントリック。複数あるハイアットブランドの中間くらいでしょうか。

ホテルの下にはロレックス

対面にはオメガ

そしてタグ・ホイヤー錚々たるブランド時計店が軒を連ねます。

さすが銀座並木通り。

そしてホテルの隣にはデパートでよく見る天ぷらの「天一」の銀座本店。

天丼6,000円なり。某チェーン店の10倍以上ですね。

そんな銀座ですが石川啄木の石碑が。勤めていた旧朝日新聞社の跡とは言え、銀座並木通りに「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」の啄木の石碑と言うのも皮肉が効いてますね。(本人はそれほど貧乏ではなかったようですが)

(つづく)

博品館、日新堂、資生堂、、、専門店に高級店。やっぱ銀座ですね(八丁目付近)

新橋、銀座散歩の続き。

 

新橋と銀座の境界に銀座の柳碑があります。

懐メロ(懐かしいメロディー)ショーの番組で良く聞いた「昔恋しい銀座の柳~」という曲だと思ったら違ったらそちらは1929年に大ヒットした「東京行進曲」という曲で、この石碑の曲はその3年後に作られた「銀座の柳」だそうです。

銀座は元々湿地帯で松や楓などが育たないということで明治時代、並木として柳が植えられたとか。しかし、関東大震災で焼失。その後、東京行進曲のヒットで「銀座に柳並木」という機運が高まり、朝日新聞が先頭に立って銀座の柳復活キャンペーンをしたそうだ。そのとき同じ作詞、作曲者が作ったCM曲が「銀座の柳」だそうで「植えてうれしい銀座の柳~」というセンスのない出だしになっています。

そして柳以外に銀座と言って思いつくのが煉瓦(レンガ)。明治時代、欧米に倣い火災に強い街づくりと言うことで煉瓦街がここ銀座に作られたそうだが、関東大震災で床などの木材部分が焼失。当時のものとしてはこちらの金春通りに遺構が残っているだけですが、銀座=西洋風の建物というイメージは残っていますね。

こちらは銀座の端っこ、銀座八丁目から見た銀座通り(中央通り)。

そして起点にあるこの建物は

銀座博品館。原宿のキディランドと並ぶ東京のオモチャ専門店のひとつですね。今でこそトイザらスなど大型のおもちゃショップは珍しくないですが、昭和の子供にとってはビル丸ごとではないが地下1階から4階までおもちゃ屋というのは憧れでしたね。

8階は劇場になっています。この時は83年組アイドル集合という濃い企画があったようで。そういえば電波少年で有名になった松本明子って一応アイドルだったんですね。

こちら銀座七丁目交差点には

高級万年筆のモンブラン本店、

その隣はパテックフィリップの正規代理店でもある高級時計の日新堂。パテックフィリップって知らなかったんですがロレックスがお安く見える超高級腕時計。安いもので300万円、中には5000万円近いものも。別に過去のプレミアがついたというものではなく新製品がこの値段って、、、

その隣の斜めのモザイクが印象的なビルはヤマハ銀座店。地下1階から5階までが楽器やスコア(楽譜)の店、さらにヤマハ音楽ホールやスタジオ、音楽教室など音楽づくし。この中でもスコアは何かの本で見たがここに来れば大概のクラシックの曲は網羅しているとか。

その正面にあるのは、これまた個性的なビルの資生堂銀座本店

資生堂パーラー銀座本店

最近はあまり見なくなったがテレビ番組のスポンサー紹介では「東京・銀座・資生堂」でしたね。資生堂発祥の地でもあるが銀座と言う名前を冠することでブランドの高級感をアップさせるのにも一役買っているんですよね。

ちなみにこの2つの建物に挟まれたこの通りは資生堂のトレードマークから「花椿通り」という名前になっているんですよね。

(つづく)

えっここからもう銀座?の新橋

新橋散歩の続き。

 

新橋駅東側にある新橋駅前ビル1号館。竣工は1966年と50年以上前。なかなか趣がある建物です。このビルのシンボルは正面にある

開運狸。

立派なものをお持ちのようで。

いかにもオッサンの街、新橋のシンボルという感じです。

ところで新橋駅の横須賀線ホームで見つけたこの看板。

少なくとも関東ではCMで有名な銀座クリニック。

銀座線新橋駅2番出口のそばのビルにあります。

新橋駅から徒歩1、2分ですが、駅より北側は「銀座」と名乗るビルや店舗が少しずつ出てきます。

新橋の飲み屋と言えば、こんな感じの店を想像しますが

少し線路沿いに行ったところには銀座コリドー街。

昼の様子を見ても良くわかりませんが、ここは東京一のナンパスポットとか。

また、高架の下は裏コリドーと呼ばれていて、こちらは昼間から怪しげな感じを醸し出しています。

なお、この周辺に有名企業があり、ハイスペックを餌にナンパしたいサラリーマンやそれを狙う婚活女性など色んな思惑を持った男女で溢れているそうだ。

ここは銀座コリドーの新橋側起点そばにある静岡新聞・静岡放送東京支社ビル

設計は広島平和記念公園代々木第一体育館東京都庁を手掛けた日本を代表する建築家の丹下健三。50年前の建物とは思えない攻めたデザインです解説によるとメタボリズム(新陳代謝)時代の代表的な建築だそうですがメタボと言うと、、、

ここには山梨日日新聞も入っていて、さらに周辺には京都、岩手、徳島、熊本など各地方新聞の支社があったりします。地方のエリート記者が集まっているんでしょうね。

そして、この裏に見えるのは

リクルートの旧本社、リクルートGINZA8ビルです。青味のかかった鏡のような窓が特徴の洒落たビルですが80年代後半のリクルート事件でニュースでよく見かけたため、昭和世代にはちょっとネガティブなイメージがありますね。

そして、このビルに映った赤と白のアンテナ塔は、

線路の反対の内幸町にある東京電力の本店ビルです。社会人1年目から6年目までこちらの会社に大変お世話になりました。初めて書いた特許が適用されたのはここの装置でした。(しょぼい特許なので報奨金は数千円くらいでしたが)このビルには一度も入ったことないですが傍の自社の日比谷支社でよく打合せをしました。

このアンテナは送電所や変電所とマイクロ波通信するためのものです。今はわかりませんが少なくとも20年前はNTTなどの一般回線は使わずこの専用設備で通信をしてました。当時、通信量が少なく苦労しましたね。また、当時、この辺りの地下のどこかにある巨大変電所の仕事をやっていて検証チームのヘルプでよく徹夜してました。ちなみにテロ対策でこの変電所内に入るときは目隠しして、通路をグルグル遠回りして行かなければならないと先輩が言ってましたね。今となっては冗談か本当かわからないですが。

もちろん、ここからは行けません。

そして通りを挟んであるのが樋口一葉生誕地の看板。樋口一葉というと生活が貧しいと言うイメージがあり、鹿鳴館があったこの内幸町が生誕の地と言うのはピンときません。どうやら父が事業を失敗して貧乏になったらしく、それまではそれなりに裕福だったのかもしれませんね。

再び新橋方向に戻りますが、こちらのホテルは銀座グランドホテル。

この南側に首都高が走っているのですが、これは江戸時代に作られた汐留川という水路の上に作られたものです。そして、この首都高=汐留川が新橋と銀座の境界となります。この先に汐留川に架かっていた、地名の由来でもある「新橋」の親柱がありますが、これより北側が銀座になりますね。

ちなみに首都高高架の下、つまり境界線にGINZA NINEというショッピングモールがありますが銀座は八丁目まで。銀座九丁目は存在しない幻の地名です。元々川でしたからね、ここは。そして正式な住所は「銀座8-10-先」だそうです。

(つづく)

汐留 ジブリと日テレとうとうくっつきましたね。

新橋散歩の続き。

 

新橋駅ってターミナル駅というイメージは少ないがJRだけでも山手線、京浜東北線東海道本線(上野東京ライン)、横須賀線が停車する。どれも東京駅と品川駅の間は横並びで走っていて、中間のここで乗り換える必要はないから日本で初めて鉄道の始発駅だけどJRとしてはターミナルではないですね。

一方、地下鉄は東京メトロ銀座線、都営浅草線と乗り換えが可能であるが始発(終着)駅ではない。だけど、1995年東京臨海新交通臨海線ゆりかもめでとうとう出発駅に返り咲きましたね。オジサンとしては最近の出来事ですが平成初期の約30年前の話ですね。

そして、その隣の駅は汐留駅。新橋駅との駅間は0.4kmと超短いですね。5分も歩けば行ける距離です。ゆりかもめに沿って高架の歩道があり行きやすく、本当なぜこんな近くに作ったのかという感じですが、汐留エリアの再開発の目玉として駅が欲しかったでしょうかね。

汐留駅の手前で下の方に見えるのは日本テレビのショップ「日テレ屋

そう、ここ汐留のビルには日本テレビの本社が入っています。ビルの名前はそのまんまの日本テレビタワー

こちらが横(南東側)から見た日テレタワーですが下に何かが。

宮崎駿氏デザインの日テレ大時計。その前がマイスタ前広場ですね。このあたりはニュースや朝の報道番組で時々映されたりするので見慣れてはいるが、改めて目の前で見てみるとちょっと感動しますね。

細かいところまでよく作られています。ジブリテイスト全開ですね。

こちらの機械の怪鳥の足。銅板を重ね合わせて留めている無数の鋲がいい感じです。

そして、その周りには緑の草花。ちょっとラピュタ感があります。

コロナ禍の前は日本テレビ内の一般人の予約見学ができたみたいですが、今は無理みたいです。せいぜいビル入り口のお天気キャラ、そらジロー、くもジロー、ぽつリンの壁画と、

エレベーターをガラス越しに見れるくらいですね。

それでも先ほど上から見えたこちらの公式ショップ日テレ屋でグッズを買うことはできます。

ちなみに我が家の息子が選んだのはコレ。主役(?)のそらジローではなく「くもジロー」

ちなみに今年夏のこちらのスタンプラリーのゴールはここ。

ジブリ展と金曜ロードショーのコラボで景品はこちらのクリアファイル。最近、とうとうジブリが日テレの子会社になりましたが、両者は昔から仲良かったですね。

ちなみに日テレ屋のそばにはこんな奇妙なオブジェも。

このセンスはジブリとは全く関係ないですね。ちなみに日によって配置が変わっているようですね。

ここから少し南に行くと三角の細いタワーが。こちらは汐留メディアタワー

こちらには共同通信社が入ってます。東銀座から汐留まで時事通信朝日新聞日本テレビ共同通信、大手報道関連企業が揃っていますね。また、汐留だけでも電通富士通全日空など日本でもトップクラスの大企業が揃っています。

さらにこの右手には最低でも一泊10万円は超えるヒルトングループの最高級ブランドのコンラッド東京があります。建物反対側には浜離宮があり借景が楽しめ、銀座も近いということで非常に良いロケーションなんでしょうね。よくニュースの一般人インタビューが行われるSL広場がある新橋駅西側は庶民っぽい感じがありますが、東側の汐留エリアは一気にエリートな街とう感じがありますね。

新橋駅とは別に至近に汐留駅を作った理由が何となくわかります。

と言っても近くに場外馬券売り場があったりするのが新橋らしいですが。

(つづく)

鉄道の始まりは新橋から

今回の散歩は新橋駅周辺。

 

こちらは新橋駅のマスコットキャラの黒森(クロモリ)さん。

烏森→カラス森→CROW森→黒森さんだそうです。

これは昨年のポスターですが日本の鉄道は2022年に開業150周年を迎えました。

その出発点がこちらの新橋駅です。

と言っても当時の新橋駅の場所はここではなく少し東側になります。

これは1909年に開業した現行の二代目新橋駅(当時は烏森駅という名称)が開業したときの柱です。昨年からこの場所に展示するようになったようです。

こんな感じで数年前の記事でも紹介しましたが日比谷口方面の広場には蒸気機関車が展示してあったり、

これも前の記事で書きましたが駅東側付近には鉄道唱歌の碑や

SLの車輪が展示してあったりします。

また、駅構内の階段上にちょっとレトロなデザインの孔雀とSLのステンドグラスがあったりします。

ところで初代の新橋駅はどこかと言うと駅から東に250mくらいの所、新橋駅前ビル1号館を超えて、国道15号(第一京浜)を渡り、汐留通りを渡った所にある

旧新橋停車場の建物が建っている辺りになります。

こちらの建物は鉄道関係の資料を集めた展示室として無料開放されています。

こちらは約20年くらい前に復元した建物で

現存しているのはこちらの階段のの最下段くらいだったりします。

なお、150年前に作られた鉄道の終着駅は横浜、現在の桜木町駅になります。昨年の桜木町に行ったとき、ホームの駅看板のデザインが150周年記念の特別デザインになってましたが左の絵はこちらの駅舎っぽいですね。(それとも横浜もほぼ同じデザインの駅舎だったのかも)

次に建物の裏に移動。こちらはホームを復元しています。

ここが旧新橋駅の出発点であり、日本の鉄道の出発点でもあるんですね。

ゼロキロ(マイル)ポストが立っています。

こちらはマイナーなスポットであるため、観光客はほとんどいませんが、資料室の錦絵などを見ると開業当時はかなり賑わっていたようです。今の東京駅みたいな感じでしょうか?

こちらテーブルと椅子があるので東京観光の穴場として、この建物を見ながらスタバかタリーズでコーヒーでも買ってきて休憩するのも良いですね。

そして、この建物のすぐ東パナソニック東京汐留ビル。昭和の人には懐かしい松下電工の本社ビルだったところで現在はオフィス以外に住宅設備のショウルームの他、パナソニック汐留美術館があったりします。

そして、その南は富士通全日空の本社が入っている汐留シティセンター

さらに一本道を挟んで東側にはミュージカル「アラジン」をやっている電通四季劇場[海]がある

カレッタ汐留です。

ということで、この辺りは住所的には東新橋ですが汐留という地名の方が使われています。実際、初代新橋駅はその後、汐留駅に名を変え、貨物ターミナルでしたが1986年まで活躍してました。その後、汐留駅という名は1995年、東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ」が引き継ぎ、

さらに2002年に都営地下鉄大江戸線の駅名にも採用されました。

昭和後期には無名だった汐留という地名が平成になってから一気に有名になりましたね。その起爆剤になったのは、、、

(つづく)