未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

神奈川で初詣と言えば川崎大師だが、まさか発祥の地だったとは

川崎大師散歩のつづきです。


川崎大師は正式には平間寺(へいけんじ)。ここで言う大師とは弘法大師のことですね。

大山門前の前回の記事でも紹介した久寿餅の店「住吉」の暖簾に描かれた商標は弘法大師の独鈷を使っています。独鈷は川の中の石を打ったら温泉が湧きだしたなどの弘法大師の伝説と切っても切れない仏具、アイテムのひとつです。

また、この鎮座する二匹の犬は高野山弘法大師を導いたという伝説にあやかり、頭部に独鈷をつけています。こちらの二匹の犬がお店に来た人を幸せに導いてくれるとか。

こちらの大山門は正月になるとこんな感じでしめ飾りが飾られます。

11月に訪問した時に比べると三が日を過ぎた平日でもこの賑わいですね。

大山門の建立は1977年。それほど古くないがそれでももうすぐ50年。京都東寺の国宝の四天王像を模像したものが東西南北に配置されている。

増長天(南)

持国天(東)

広目天(西)

多聞天(北)

大本門下の大提灯の文字は浅草寺でも見た「魚がし」ですね。魚河岸講(組合みたいなものか)が寄進したものですね。

こちらは大本堂です。こちらは1964年に落慶されたもので堂々とした井出達ですね。

初詣という言葉は明治時代、正月にここ川崎大師への参拝を報じた新聞記事が初だとか。鉄道開通で便が良くなったのが要因みたいですね(昨年放送されたブラタモリで知りました)。今も初詣の人気スポットで明治神宮などと並び正月三が日の参拝客数は関東のトップ3に入りますね。

大本堂の大提灯の文字はズバリ「弘法大師」ですね。

大本堂を参拝し、振り向くとあるのは銀杏の大木。こちらは太平洋戦争の大空襲で一度そのほとんどが焼けたのですが奇跡的に蘇生、今は霊木「奇跡の銀杏」として大本堂を見守っています。川崎は軍需産業都市として発展してきた街のため、攻撃目標になっていたそうで、今ここにある建物が戦後再建されたものが多いというのは仕方ないことですね。

その横の建物は経蔵。こちらの入口の扉に貼ってある紙に描かれているのは

川崎大師公式キャラクター「ひらまくん」。こちらのデザインは籔内佐斗司

一時期キモイかカワイイかの議論で話題になった奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」の作者ですね。

経蔵の天井は中央の双龍とそれを囲むように天女が描かれています。こちらは韓国重要無形文化財人間国宝)の李萬奉老師によるもの。鮮やかな色使いと顔のタッチが少し日本のものとは違いますね。

こちらは大本堂の南にある不動堂。ここには同じく初詣でトップ3に入る成田山新勝寺の御本尊のご分躰を勧請し奉っているそうです。つまり、ここで初詣するということは一回で二度おいしいということでしょうか。

そして、後ろにある信徒会館の屋根中央にあるのは

個人的な感想ですがどこか独鈷っぽいです。これ異様な存在感がありますね。

こちらは不動堂の裏に祀られている地蔵で「しょうづかの婆さん」と呼ばれている。これは三途の川で亡者の衣服をはぎ取る脱衣婆(だつえば)を示す「葬頭河の婆(そうづかのば)」が訛ったもの。こちらでお参りすると歯の痛みを癒すとか、容貌を美しくするなどのご利益があるとか。脱衣婆のイメージと大きく異なりますね。

(つづく)

京急に乗って川崎大師へ行こう

川崎駅散歩のつづきです。


川崎から徒歩5分のところにあるのが京急川崎駅。距離は短いのですが信号で待たされて結構かかりますね。

こちらの京急本線ホーム発車案内の掲示板は2022年までアナログ型の通称「パタパタ」でしたね。

こんな風情あるものが廃止されるのは残念ですが部品メンテナンスが厳しいと思うし、現在のLED版と異なり決まったテキストだけで他路線の遅延情報などは流せないことを考えると仕方ないですが。なお、おじさんはこれを見るとノスタルジーを感じますが、若い人たちは意外と新鮮に感じるかもしませんね。

youtu.be

京急川崎駅からは本線でなく大師線に乗って3駅目、川崎大師駅で下車。

こちらには京急発祥の地の石碑があります。京急と言えば泉岳寺、品川から横浜、横須賀、三浦を結んでいる本線側のイメージが強いですが、1899年、川崎大師への参拝客のために作られた大師線のほうが先に作られました。ただし、当時、人力車組合が客を取られると反対されたため、出発地点は川崎駅ではなく、川崎駅から少し離れた多摩川六郷橋だったんですね。

子の石碑の横には京急のマスコット「けいきゅん」のモニュメントも立っていますが、ちょっと怖い見た目です。

駅前にはごりやく通りと

川崎大師への表参道があります。駅から川崎大師までは徒歩8分。川崎大師のための鉄道を作ったのに駅から少し距離がありますね。

表参道を3分も歩くと川崎大師敷地を囲む長い壁が通りの右側に現れます。しかし、ここから入り口まではまだまだ先です。

途中表参道には名物の久寿餅(くずもち)を売る店や

厄除けの揚げまんじゅうを売る店など。

ついつい買い食い。

やっと入り口を案内する門が。ここを右に曲がると、、、

えっ、まだ見えない? 右側の店は、、、

こちらは明治17年(1884年)創業のそば屋松月庵。老舗ですね。

もう30mほど進んだら右側に大師仲見世と書かれた門。

やっとこの先にお寺の門みたいな建物が見えました。駅からの表参道をまっすぐ行くと山門というのが一般的だけと、ここは右折2回のUターンするという珍しいパターンですね。

ここからはさらに参拝者向けのお店が両脇にずらっと並んでいます。

久寿餅と並んで川崎大師名物の咳止め飴のお店も多数あります。

こちら飴そのものだけでなく、長い飴をトントントコトンとリズムを刻みながら小さく切る店頭でのパフォーマンスも名物である。日本の音風景100選にも選ばれているそうです。


川崎大師 トントントコトン ショート動画


中にはトントントコトンと音だけ鳴らしているマネキンロボットも。

また、こちらには「だるま」のお店もいくつかあります。

伝統の赤以外にもいろんな色のものがあります。色によって恋愛、健康、金運などご利益が違うようです。

見てるだけで運気が上がりそう。

こちら山門前の久寿餅の創業1917年の老舗 山門前 住吉。くずもちと言っても原料は葛でなく小麦粉。久寿餅が誕生したのは天保(1830年代)のころ。当時の川崎大師山主、隆盛上人によって、発明した久兵衛の「久」の字をと無病長寿を祈念した「寿」の一字を附して「久寿餅」と名付けたそうです。ネーミングセンスが抜群ですね。

(つづく)

飲む打つ買うの三拍子そろった娯楽の街 ディープ川崎

川崎駅散歩のつづきです。

 

市役所通りと国道15号線、通称「第一京浜」と交差する場所川崎宿の鎮守「稲毛神社」があります。

こちらの神木である大銀杏の樹齢が1千年と推定されることから、かなり古くからあった神社みたいですね。

主祭神武甕槌神(たけみかつちのかみ)で御神徳は「勝」だそうです。

こちらの狛犬は石像でなく彫刻。「天地睨みの狛犬」という名前で上半身への願いがある場合は右、下半身は左の狛犬を撫でてからお参りするのが作法だとか。触る狛犬って珍しいですね。

おみくじを結ぶ綱? ちょっと珍しいですね。

絵馬はこんな感じ。昨年2025年の干支の蛇。

こちらはその前の竜か。

同じ境内にある大鷲神社大鷲神社と言えば商売繁盛、金運アップのご利益があるが金の鳥居はそのあたりをダイレクトに体現していていいですね。

再び旧東海道へ。この辺りは繫華街から外れて住宅地に近いが、

やっているかどうかわからない場末感があるスナックも。

そして看板に特徴がある何かのお店?

ちょこちょこと住宅がいらしからぬお店が。。。そう、ここは堀之内。昭和生まれなら知っている、ビートたけし扮するひょうきん族タケちゃんマンのオープニングソング内の「今日は吉原、堀之内~」の堀之内ですね。元々、この辺りは川崎宿の飯盛女(下半身も含めいろんなお世話をしていた女性)がいた旅籠があったエリアですね。

そこから国道409号線を東に行くと次の見えるのがこちら。

川崎競馬場です。

ここでレースを開催しない日でも場外馬券売り場として開いていて、コース内の大きな芝生の広場があるので、子供が小さいころ時々遊びに来てました。

こちらは場内にある食堂。佇まいが昭和を感じさせますね。

メニューもラーメン、カレー、かつ丼、もつ煮込みとザ・男飯という感じですね。

そして、その南側、直線距離だと300mくらいのところにあるのが川崎競輪場

ここもレースが開催されてない日でもレース場は見れるようになってます。

この急なバンクを走るってどれだけスピードが出てるんでしょうね。

ここではタブレットを貸し出していて、スマホを持っていない人でもその場で投票券が買えるようです。しかも、老眼鏡も200円で売っているとは。いやー、何というか至れり尽くせりで。

この競輪場には市の富士見公園が隣接していてスケボーのコートや

アメフトやラクロスが行える競技場「富士通スタジアム川崎」があります。このスタジアムは昔、昭和のおじさんには懐かしいロッテ川崎球場でしたね。

また、ここには製鉄所でステンレス鋼の塊をロールで薄く延ばすための熱間圧延機の巨大な歯車の部品が展示されています。ある意味、京浜工業地帯の技術遺産ですね。

巨大な工業地帯とそこで働く人々。その人たちの娯楽のための駅傍の大小さまざまな飲食店が連なる繁華街、男性のための街、堀之内、公営ギャンブルの競馬場と競輪場、飲む打つ買うの三拍子そろった娯楽の街、川崎を感じる散歩でしたね。
稲毛神社の御神徳「勝」も含めて。

(つづく)

今も昔も賑わっています チネチッタと川崎宿

川崎駅散歩のつづきです。

 

昭和時代の子供の頃、東京、横浜間の京浜工業地帯という言葉を習ったが主役は川崎だったと思う。戦後、川崎は工場の街として発展。工場に勤めている人が娯楽として当時人気を博していたのが映画。昭和30年代には川崎市内に45館の映画館があり、その多くが川崎駅東口エリアにあったとか。

しかし、昭和50年代にはカラーテレビの普及率が90%を超え映画館は大きく減少。そんな中、斜陽イメージを払拭すべく昭和末期の1987年、銀柳街の南西側エリアに再開発でオープンしたのが「チネチッタ」だった。日本初の大型シネコンで、翌年にはライブハウス「クラブチッタ川崎」、そして2002年に飲食やファッションの各種ショップが入ったオープンモール「ラチッタデッラ」が開業、映画館を中心としたひとつの「街」に発展しました。

建物のスタイルを統一。コンセプトはイタリアの街並み。

川崎らしからぬオシャレなスポットになったということでオープン当初は結構話題になりましたね。

その後、西口側にラゾーナができたため、今の人出はそれほどでもないですが、適度に賑わっていていいですね。

この街の中心にある噴水広場。常時、水が出ているわけではなく、ここで音楽や大道芸のイベントが行われたりします。

何も行われないときはこの階段に座りのんびり過ごしている人も。

こちらが映画館(シネコン)のチネチッタ、イタリア語で「映画の街」です。

また、ちょっとしたスポーツ施設も併設。

バスケットコートです。

こちらはプロバスケットBリーグ川崎ブレイブサンダースが運営しているコートですね。こんな感じで各種エンタメが楽しめるエリアになっています。

再び銀柳街に戻り北東に進み、

市役所通りを横断すると、今度は銀座街というアーケードに。

この入り口にある中華料理店

地元では有名な天龍

天下一いずま?
「まずい」の反対で「いずま」。つまり、「天下一おいしい」という意味。

なんか昭和の香りがする宣伝文句です。

こちらは銀座街。東京都内のアーケード街と比較して道幅が広いです。地方都市並みですね。一方でよくある地方都市のアーケード街と異なり、空き店舗もほとんどなく非常に賑わっています。やっぱり商店街は賑わっているほうがいいですね。

銀柳街、銀座街と並行して南側にあるのは旧東海道

この辺りはかつての東海道五十三次の二番目の宿、川崎宿にあたります。

古い建物はなく、当時の面影はほとんどないですが、騒がしい商店街を離れた静かなこの通りではちょっとノスタルジーを感じます。

日本橋からの距離は約18kmですが、当時多摩川に橋はないので増水すればここで足止め。ゆえに結構賑わっていたと想像されます。

広重の川崎宿はマンホールにもなっていますね。

ここの地名は砂子と書いて「いさご」。かつてこの地は砂地だったのが地名の由来だとか。もしかしたら江戸時代に入り東海道が整備されるまでは何もなかった土地だったかもしれませんね。

ここは小土呂橋跡。享保の時代(1726年)に建てられたときは立派な石の橋だったらしく、ベトナムから贈られた象がここを通ったとか。石橋を渡る象って当時はかなり盛り上がった大イベントだったかもしれませんね。

(つづく)

川崎駅 巨大なアゼリアと思い出の銀柳街

川崎駅散歩のつづきです。


駅南東側のバスロータリー傍坂本九の歌碑があります。40歳以下の人はあまり知らない顔もしれないが坂本九は代表曲「上を向いて歩こう」がアメリカのビルボードで3週連続1位(なぜか曲名はSUKIYAKIで売り出されていた)になったという伝説的な昭和の歌手。この伝説的というのは凄い大物歌手といううより、520名が亡くなった1985年の日本航空123便墜落事故の犠牲者で若くしてなくなったため。出身はこの川崎駅のそば。JR東海道線川崎駅の発車メロディーに「上を向いて歩こう」が使われていて今でも川崎市民に愛されていますね。

さて、川崎駅前と言えば前回の記事で書いた西側のショッピングモールのラゾーナが有名ですが昔から知っている人にとっては東側の地下街「アゼリア」のほうが馴染みがありますね。
改札前のコンコースをエスカレーターで地上に下りると

アゼリアへの入り口があります。

さらにエスカレーターで降りて地下街アゼリアに行きますが、こちらの白いカプセル型のアゼリアの看板が出迎えてくれます。正に「今はもう動かない」ですが、こちらは「からくり時計」で毎正時になると人形の楽団が出てくる演出がありましたね。

こちらのアゼリア地下街の延べ床面積は約56,000㎡、東京ドーム約1.2個分、全国でも大阪梅田、名古屋に次いで全国3位の広さです。都道府県庁所在地でもない一都市の地下街としてはこの広さは凄いですね。よく道を一本間違えて、目的の店に着かず、ウロウロした思い出がありますね。

アゼリア内を東側に向かい地上に出ると、仲見世通りのゲートがあります。

ゲートの上にある彫像はなぜか酔っ払い。いかにも川崎という街を代表してますね。

そして、これが川崎の繁華街という感じの通り。
ラゾーナができて川崎駅周辺のイメージが少し変わったが、工場地帯が近くにあり、そこの労働者が明日の活力のために寄るような飲み屋が多い、この煩雑な街がザ・川崎ですね。ちなみにラゾーナがある西側は川崎市幸区で、こちらの東側は川崎市川崎区。真の川崎ですね。

仲見世通りを横切るのは銀柳街のアーケード街。アーケードができたのは1960年代、1991年の改修でステンドグラスが採用されたようです。

なかなかレトロ洒落てると思うがここは川崎。新川通と交差する南西の出口に来るとパチンコ屋。

さらにその向かいの通りには

3軒のパチンコ屋が並んでいる。今時、こんなに密集して競合してもやっていけるってどんなにニーズがあるんだ?

パチンコ以外にもおしゃれとは程遠いが明らかに旨そうなオーラが出ている焼肉屋があるのも川崎らしい。こちらの大将軍とか、

食道園とか。

と言っても焼肉はさすがに高く、川崎に通勤してた時はもっぱらその傍の普通の中華居酒屋をよく使ってましたね。紹興酒ボトルで入れて一人3,000円で5時間くらい飲み食いしてました。いやぁ懐かしいです。

(つづく)

おまけ

どうしても川崎駅周辺だと個人的な思い出が多くあり、そちらを語ってしまいますね。
こちらの銀柳街ドトールの2階、昔は普通の喫茶店でした。社会人1年目の4月、研修が終わった金曜の夜、飲みに行こうとここを通った時、この喫茶店の下に人だかりができてました。見上げると窓の向こうから森口博子さんが微笑みながら手を振っていました。(おそらく「夢がMORI MORI」のショートドラマの撮影かと) 街歩くだけで芸能人に会えるなんて東京ってスゴイと思ったお上りさんでした。(実際は神奈川だが)

思い出の巨大ターミナル川崎駅

今回の散歩は川崎駅周辺です。

 

川崎駅にはJR東海道線京浜東北線南武線が乗り入れているターミナル駅。人口140万の川崎市の玄関口で改札前のコンコースは平日休日関係なくたくさんの人で混雑しています。

西側には駅直結で巨大ショッピングモール「ラゾーナ川崎」があります。個人的には30年以上前ですが新社会人研修で通った東芝堀川町工場がここにありました。当時、こんな駅前の一等地に工場があるなんて勿体ないと思ってたら数年後に閉鎖してショッピングモールの開業を計画。しかし、土壌汚染の除去か何かで数年間、単なる無駄な空き地でした。そのころ、妻がこのそばの会社に勤めていて時々訪れていたのですが、なかなか建設が始まらず結局開業まで6年かかりましたね。

こちら情報が2018年と古いのですが日本で成田空港のショッピングモールに次いで2番目の売り上げだとか。川崎、横浜東部、大田区、品川区の大都市が商圏でかつ駅直結というのが大きいのでしょうね。
この集客力を狙ってモール中央のルーファス広場ではアーティスト新曲発表の無料ライブイベントが良く行われますね。

これはかなり前ですがマクロスΔワルキューレのイベント。

広場だけでなく各界のテラスにもぎっしりの人。

1万人を超えるキャパがあるとか。そりゃ無料でも宣伝効果高いですね。個人的にはKalafinaの”ring your bell”披露イベントが心に残ってますね。本当に無料でいいのかと感動しましたね。

川崎駅に戻り南西方向に伸びるペデストリアンデッキこの先にあるのは

ミューザ川崎シンフォニーホール。ここの音響は世界的に評価されているとか。市民としてはあまり実感がないのですが、川崎市は音楽のまちと自称しているだけあり、結構お金をかけてこれを建てたみたいですね。

デッキから北側を見るとラゾーナの後ろにある建物は

東芝の本社ビルですね。昔の浜松町にあった本社ビルは昨年2025年に解体が始まったようでちょっと寂しいですね。と言っても本社ビルって府中勤務だったから入社式で行ったくらいですが。

デッキの下に来るとバスロータリーがあります。

さらに西側にはラゾーナ側にもロータリーもあります。同一面に2つあるのは大きい駅の証拠ですね。

さて、今度は東側に移動。

こちらの駅ビルのアトレもショッピングモールとしていろいろ店が入っています。

そして、駅を出て右手に見えるのは川崎ルフロン。こちらは昔西武と丸井が二大テナントから構成されるショッピングモールでしたが百貨店文化衰退にラゾーナ出店の追い打ちを受けて今ではヨドバシカメラや各種専門店、屋内水族館のカワスイみたいな変わり種もいるモールになってます。
実は東芝から転職した会社がオフィスを何度か引っ越して、この先にあるビルにも3年ほど通っていて、ここは結構馴染みあるんですよね。

また、バスロータリーは西側にもあり、

ここも2つ、駅全体で4つあります。その他、ショッピングモールはMORE'SDICE
本当デカい駅ですね。

元々MORE’Sは岡田屋と言う百貨店。この5段しかない世界一短いエスカレーター、プチカレーターが隠れた名所だったりします。その他、百貨店としてはさいか屋もありましたね。よく川崎と言うとヤンキーが集う荒れた街のように言われるが、銀座や新宿のようなブランド力はないなりに、それなりの繁華街だったりするんですけどね。

(つづく)

 

おまけ:アトレの地下にあるたんめんの店百菜

川崎に通ってた頃は、よくここで食べてました。てんこ盛りの野菜にしょうがをたっぷり乗せることができるのがお気に入り。風邪も治りますね。

 

浅草シリーズ最終編 老舗だらけの浅草 やっぱ浅草面白いね

浅草散歩のつづきです。


かっぱ橋道具街通りと交差し東西に伸びる都道463号線。東側は雷門前に、西側は、、、

仏壇を扱うお店がずらり。稲荷町駅から浅草までは「浅草仏壇通り」と呼ばれている。

約50店舗の仏壇・神仏具の専門店が並んでいるとか。

歴史は古く、明暦の大火の後、寺院仏閣が幕府により上野から浅草にかけて集められ、これに伴い仏具などを扱う職人が集まり、店を構えましたのがルーツだそうです。

浅草仏壇通りを東に進み、国際通りを北上し、再び浅草寺前の雷門通りへ。

この辺りには天麩羅の 葵丸進

うなぎの 川松本店 など老舗が並んでいます。

浅草通り南側の路地に入ったところには高級料亭 茶寮一松 。こちらの創業は1952年(昭和27年)。江戸、明治に創業した老舗が多いので麻痺して新しく感じるが70年以上の歴史があるんですね。こちらの建物は今半本店や神谷バー同様、登録有形文化財だとか。

東京都内で文化財の建物を使った飲食店は多いが、飲食店の店舗建物が文化財になるケースは浅草が一番多いみたいですね。

新仲見世通りに戻ると、こちらの角の店は

デパートのテナントでもよく見かける芋ようかんで有名な舟和です。創業は1902年、明治35年。こちらも老舗ですね。

この日は暑かったので芋ようかんよりもソフトクリーム。芋ようかんソフト!
ただ、とぐろ巻いてるこのフォルムでこの色、、、

普通のバニラを食べました。舟和の文字が刻印された薄いせんべいがバニラと合いますね。

その対面にある喫茶店 銀座ブラジルも60年を超える老舗。

また、老舗以外にも昭和を感じる店が。こちらはベルトの専門店マルイチベルト

本当にベルトだらけ。専門店としてやっていけるのは凄いですね。

こちらは種類豊富な草履・下駄が揃っている高久履物店。

姉妹店なのか、こちらは扇子、羽子板が揃っている高久人形。

この新仲見世には個性の強い店が揃っていますね。

そこから裏通り、と言っても浅草中央通りという立派な名称の通りにあるのが宮田レコード。昔ながらの音楽カセットやCDを売っている店です。

もちろんジャンルは演歌。なかなか渋いですね。
音楽は配信全盛時代。CDのお店も絶滅しそうな感じですが、こんなポスターが並んだ昭和の店は今となっては人口の多い東京でしか生きていけないんでしょうね。

また、新仲見世に戻るとこちらも甘味処の老舗 梅園 。創業は1854年(安政元年)、江戸時代ですね。この店もテナントとして出店しているのでご存じの方も多いかも。個人的にはどら焼きが好きでよく利用しています。浅草にはデパートで見かけるお店の本店が本当多いですね。

そして、この浅草からはスカイツリーがよく見えますね。

こちらは雷門通り

伝法院通り

名もない裏通り。なんか雑多な街並みとのギャップがいいですね。
浅草寺を中心に発展した浅草。江戸時代に創業した天麩羅をはじめとする老舗が今も残り、明治、大正には六区を中心に芸能、エンタメの街として浅草。さらに合羽橋道具街や浅草仏壇通りなど日本のモノづくりを堪能できる浅草。
日本人だけでなく外国人にも人気スポットになる理由がよくわかりますね。