未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

保土ヶ谷宿 旧東海道の「跡」を散歩 その1

今回の散歩は横浜の保土ヶ谷駅周辺です。

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保土ヶ谷と言えば東海道五十三次の4番目の宿。

保土ヶ谷(程ヶ谷)宿は神奈川宿戸塚宿の間に位置します。

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駅前はこんな感じ。

隣の駅は横浜駅。買い物はそちらということで、こちらは質素ですね。

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駅の近くには旧東海道に沿って、宿場町関連の施設「跡」がたくさんあります。

ここ助郷会所跡。助郷とは江戸時代、幕府が諸街道の宿場の保護、人足や馬の補充のため宿場周辺の農村に課した夫役だそうで、ここは彼らの寄り合い所だったようです。

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こちら問屋場跡。問屋場は幕府関係の荷物運搬、書状の通信(飛脚)や大名行列の宿手配などの公務を行っていたそうです。

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こちらは高札場跡。高札場はいわゆる掲示板ですね。

こちらの説明によると、新しい法令等の説明などの他、荷物運搬料や安宿の宿泊料なんかも記載されていたようですね。

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こちらは金沢横丁の石碑。

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東海道と金沢道(金沢八景で有名な横浜金沢に繋がる道)と大山道(相州道。二俣川、厚木を通って伊勢原の大山に繋がる道)の交差する場所です。

といっても小さな交差点ですね。

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ここから東海道は 国道1号線になります。

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こちらは軽部本陣跡。ここにきて、やっと当時の門が残っていました。

本陣と言えば大名行列での大名が泊まるための高級ホテルですが、現在まで建物が残っているケースはほとんどないようですね。

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こちらは脇本陣跡。

脇本陣は本陣が混雑したときのセカンドホテルで保土ヶ谷には三軒あったそうだ。

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こちらの屋号は水屋。今は何の因果か消防署になっています。

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こちらは旅籠 本金子屋 の建物。当時の宿場町の佇まいが残る唯一の建物ですね。

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こちらは一里塚。八番目の一里塚なので日本橋から約32kmの地点となります。

また、ここには上方見附(上方=京都方面を監視する見張り台)もあったようですね。

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当時を偲んで松並木を再現しています。

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こちらは大仙寺。大きな街道そばの寺は、当時賑わっていたでしょうね。

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(つづく)

 

今週のお題「そうめん」

子どものころ、我が家のそうめんは「具なし」だったので淋しかったです。

たまに缶詰のさくらんぼが入っていましたが、甘くてコレジャナイ感がありました。

そうめんそのものは嫌いじゃないですけどね。