未来そうぞう日記

知的障害を持った息子と巡る日曜の東京、神奈川周辺の散歩、未来予想(妄想?)、そして気になる話題を報告します。

アメリカ出張での大失敗

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

今回はピンチというより20年前の大失敗の話。

 

アメリカ出張の最終日、その日の仕事はなく帰るだけだったので、親会社の人たちに誘われて市内観光へ。ホテルのチェックアウト後、ロビーで荷物を預け、帰国便の出発時刻は午後1時くらいだったのでタクシーを呼んで市街地に。その出張ではずっと客先との打合せで自由時間がほとんどなかったので1時間30分でも観光できたのは楽しかったです。

 

そして、再びタクシーに乗り、荷物を取りにホテルへ。荷物を持って来るだけなので、タクシーに待ってもらうのかなと思ったら、そこで清算。これが大失敗の始まり。。。

 

ロビーで荷物を受け取り、タクシーを呼んでもらったがなかなかこない。30分後にタクシーが来て慌てて乗車。空港まで30分で行けるはずが1時間以上かかった。どうやら、事故か何かで渋滞の影響だったらしい。空港には出発1時間前に到着。

 

これで一安心と思ったら受付の前に長蛇の列。やばいかなと思ったが、親会社のメンバーが落ち着いていたので、そのまま順番を待っていたら、、、アウトでした。

 

いかにも融通の利かなそうな、ちょっと体格の良い黒人女性にもう締め切って、搭乗手続き始まったと説明されて、その場で5人全員呆然と。自分の頭の中でドラクエパーティー全滅時の曲が流れた。

 

親会社のリーダーが直ぐ自分の上司に連絡して相談。現地は日曜の朝、とりあえずグループの関連旅行会社に連絡してチケットを取り直した、いや正確には購入ですね。翌日、乗り継ぎはあるが同じくらいの時刻の便が取れたので、空港近くのビジネスホテルで一泊。自分の上司にも電話連絡した後は、何もせず各自ホテルの部屋で過ごすことに。やることもなく沈んだ気持ちでテレビを見て、落ち込んでいたたため腹も減らず、そのまま寝ることにしました。

 

次の日は早めに空港入りしてチェックイン。すると、前日より空席があったため、ビジネスクラスへのアップグレード。しかも、私だけは最初の乗り継ぎまではファーストクラスへのアップグレードも可能だが、どうするかと聞かれた。1時間くらいのフライトとはいえファーストクラスにちょっと魅かれたが、ここで他メンバーと別行動して失敗したらマズイなと思いビジネスクラスで。今、考えるとファーストクラスに乗ることなんて一生に一度あるかないかなので、ちょっと惜しいことをしたと後悔。

 

帰国してからはその場にいた全員で口裏を合わせ、「交通渋滞で遅れた」という事実の一部だけを伝えて、一人あたり10数万円の損失を出しましたが減給や始末書なども書くことなく事なきを得ました。(その後、半年は飲み会のネタになりましたが)

 

当時は親会社のメンバーに全て任せて、ついていく状態でしたが、今だったらホテルに戻ってきたとき、そのメンバーに荷物を取ってくるまでタクシーを待たせる提案をしただろうし、たどたどしい英語でも直接ドライバーにお願いしただろう。また、空港でも列に並ばず、急いでいるが優先してチェックインできないかとカウンターに詰め寄ることもしたと思う。

 

この時のピンチは結局アウトな結末になりましたが、その後のトラブル対応での恥でも損失を出すよりマシという選択肢を選べるようになり、非常に良い人生経験でした。

 

ドイツCeBITの思い出

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

人生の最大のピンチと言えば以前記事にしたこれだと思いますが、

dad-aslan.hatenablog.com

今回はちょっとだけピンチの昔話を。

 

2003年、ベルギーへ初めての海外出張。ちょうどその時、隣国ドイツでコンピューターエキスポCeBITが開催されていたので、親会社の現地法人メンバーと共に一泊二日で訪問することに。

現地へはクルマで行ったのですがドイツのアウトバーン(高速道路)初体験。ベルギーからオランダ経由でドイツに入ったのですが、ドイツに入った瞬間、道路の舗装が良くなったためかクルマの振動とタイヤのノイズ音が小さくなるのがわかりました。さすが、自動車王国ドイツが誇るアウトバーンですね。

そして、ドイツに入ってからはどのクルマもスピードアップ。自分が乗っていたクルマも220から230kmくらいで走行。危ない感じはしなかったですが後部座席で最初はかなり緊張してました。しかし、上には上がいて、その隣のレーンでBMWとか何台かのクルマに追い抜かれました。相対速度で60km以上はあったと思うので、おそらく300km近く出ていたかと。最高速度無制限とはいえ、これはなかなかできない体験でした。

そんな感じで6時間かけてドイツ、ハノーファーに到着しました。

会場のハノーファー国際見本市会場の広さは約100万平方メートル、東京ドーム21個分の広さ。日本一の幕張メッセの4.5倍以上。また、建物だけでも27号館、約50万平方メートル。このうち、1号館は73,000平方メートルで世界一だとか。

広い会場はこちらのエコなタクシーで移動できます。

各会社専用のパビリオンもあったりする。日本では懐かしのボーダフォン

マイクロソフトXBOXパビリオンも。

現在の社名はHereのNavtech社。

こちらはPND、後付けでダッシュボードの上に置くタイプのポータブルカーナナビ。2000年代、数万円で買えるということで良く売れてました。今では新車購入時、標準装備だったり、オプション割引で備え付けのナビを付ける人が多くなり、さらにスマホのナビアプリでも代用できるので、日本で見かけることはほとんどなくなりましたね。

NTTドコモも出展してました。当時はガラケーiモードの時代ですね。

Nokiaガラケーたち。

機能は全然劣りますが、デザイン的にはガラケーの方が面白かったですね。

あと、正に携帯。小さくて良かったですね。

こちらは普通のキーボードですが、ドイツ語向けでウムラウトと呼ばれるアクセント記号が付いた文字Ä,Ö,Üやエスツェットß(SS)のキーがあるのがちょっと珍しかったです。

そんな、こんなで1日目は終了。目的の1/3も見れなかったので次の日に備えて、早く就寝。そして2日目の朝、部屋の電話が鳴り、ホテルロビーに集合。

とうとう懸念されていたアメリカを中心とした多国籍軍イラクとの戦争が始まることに。いわゆる湾岸戦争だ。どうやら、イギリス他欧州の国もこの戦争の賛同していることで欧州でもテロの危険があるということで、会社から強制帰国命令が出ました。

36時間以内に戻ってくるようにという命令で、全然ドイツは何も影響なかったのですが泣く泣く帰国準備。フランクフルトからの成田に向かう全日空便を予約したとメールがきたが、今回ドイツは1泊だったので、ほとんどの荷物はベルギーのホテルに残したままだった。

荷物をピックするために、再び、アウトバーンを使い6時間かけてブリュッセルのホテルに。荷物をまとめ、チェックアウトしてブリュッセルの空港に。そこから地方便で再びドイツフランクフルトに行き、ようやく帰国へ。自宅に到着したのはハノーファーのホテルを出てから26時間後。自動車6時間→タクシー30分→飛行機1時間→飛行機11時間→電車1時間30分と滅茶苦茶疲れましたね。

本当、そのときのドイツやベルギーは何の危険もなく、現地の人たちには、そのころミサイル発射実験がよく行われていた北朝鮮に近い日本の方が寧ろ危険では?と言われたくらいだ。それでも、会社命令に逆らえないのがサラリーマンですね。

病院と大学の街 学生と言えばやはり、、、 御茶ノ水駅

今回の散歩は御茶ノ水駅周辺です。

JR中央線のホームに立つと北に見えるのは東京医科歯科大学

右側の校舎の上にはレリーフがあります。なかなか渋いです。

その西隣にあるのが順天堂医院と順天堂大学です。

そして、駅西口を南に2分も歩けば癌研究で有名な佐々木研究所と附属の杏雲堂病院

さらにその南には日本大学病院。ここまで大きな病院、大学病院が密集している場所は他にはないでしょうね。

また、医学部以外でも大学が多いのがこの御茶ノ水

その隣のモダンな建物は同じく日本大学お茶の水校舎、1925年竣工した主婦の友社の社屋外観を保存したものです。

そして、この裏には同じく日本大学理工学部

そして歯学部があります。

そして先ほどの日本大学病院やお茶の水校舎の前にあるこちらの建物

明治大学です。この建物ができたのは18年前ですが、自分の中の記憶では古いときのイメージが強いです。初めて来たのは大学時代、学会発表を聞きに来た時ですね。

建て替え前は建物自身のイメージよりも畳二畳分くらいの大きさの政治的主張がデカデカと書かれた「立て看板」が何本も立っていたイメージが残っています。当時(約30年前)はまだまだ一部の人たちは精力的に学生運動をしていて、成田空港三里塚に行こうとかありましたね。

こちらは明治大学創始者 矢代操氏、岸本辰雄氏、宮城浩蔵氏のレリーフです。

こちら明治大学の校舎リバティータワー。地上23階、高さ120mは国内の大学で3番目の高さ。竣工は1998年。郊外の広いキャンパスを開拓していた東京の大学は、団塊ジュニア世代をピークに少子化をにらみ反転、都市回帰路線へ。この建物はその先駆け的存在だったようですね。

これを機に男くさい学風も変わり、女性からも人気の大学になったようです。

そして、明大通りをさらに南へ下ると個人的にお気に入りのレストランカロリー。

ターゲットはもちろん学生。名物は牛バラ肉とタマネギを炒めたカロリー焼き。味付けは醤油とニンニク。量も味もガッツリ。その下には薄味のパスタがあり、さらにライス大盛り無料。もちろん、美味しいのですが正に空腹を満たすための店。個人的にはこれにカニクリームコロッケを乗せたのがお気に入り。学生時代、東京に来た時はよく来てましたし、社会人になってからも年に1回くらいきてましたね。そして、コーヒー代わりに小さなビールが当時200円くらいで飲めたのも良かったです。流石に最近はライス大盛りはしなくなりましたが。

これ以外にも近所には学生向けの店が多く、この数件隣はカレーのエチオピアなど有名店も多かったりします。さきほどのリバティータワーには眺めの良い学生食堂もありますが、やはり、大盛り命の庶民派食堂がいいですね。

最後に大学の多い御茶ノ水ですがもう一つ忘れてはならないのはここ、駿台予備校。

ここも含めて、このあたりは学生の街ですね。

(つづく)

これが将軍の見る景色です

これが将軍の見る景色です

 

こちらは週刊ヤングジャンプで連載中の人気漫画「キングダム」16巻の有名な名言。

中国の秦の始皇帝が中華統一を為した時に活躍した将軍「信(李信)」が主人公。これは信が若かりし頃、重傷を負った王騎将軍を馬に乗せて退却するときに言われた言葉。この一言で信は戦場全体が見えるようになり、退路を見つけることができたのと同時に、将軍が見ているものは何かというのを初めて理解した、いわばアハ体験です。このシーンはキングダム前半のクライマックスシーンであり、このセリフはある意味、彼に残した王騎の遺言とも言えますね。

作者の原泰久氏はシステムエンジニアとしてサラリーマンとして3年間過ごした後に漫画家に。そこでの経験を生かし、中国の歴史ドラマに組織マネージメントの要素を加えたエンターテイメント作品に昇華させた点がこの作品の凄い所ですね。

ビジネス指南にも使える漫画としては週刊モーニング連載の「宇宙兄弟」がありますが、こちらは数人のグループ、チームとしての組織をキングダムは10名、100名を超える大規模な組織を対象にしていて、前者は個を生かす組織論、後者は集まった人の力を生かす組織論を展開。両方とも好きな漫画の一つで新刊が出る都度、毎回興味深く拝読しています。

で、話を戻します。「将軍が見える景色」ですが、ビジネスでも良く複数の視点で且つ広い視野を持って物事を見るという考えがあります。例えば市場から何らかの不具合発見の報告があったとき、末端のITエンジニアの立場だと直ぐに修正しなければと思いますが、その不具合がどれくらいの人に影響があるのか、どれくらいの頻度で、どんな問題を引き起こすのか、また、それを修正するのにどれくらい時間がかかるか、修正による既存機能への影響はないか、確実に修正できるのか等々いろいろ考えます。そして、管理職はその影響度合いや顧客からの反応を見ながら、即座に修正すべきか、修正せずに様子見か、次の機能追加バージョンアップに合わせて修正するかを判断します。

その他の例としては人気が落ちてきた製品に対しリニューアルか、キャンペーンなどのテコ入れかを判断するときも、同様にいろんな視点で考え、さらには製品の撤退というあまり使いたくない手段の選択肢も検討と、つまり広い視野で複数の視点から物事を見ることは管理職にとって必要なスキルとなります。

そして、「広い視野で複数の視点」と「将軍が見える景色」は非常に似ていますが、「立っている場所を変えて、複数の方向から順番に見る」のに対し、「高い位置からの一つの視点で全体を同時に見る」という違いがあると個人的には考えています。

前者は見落としが起きにくいメリットがあるが、判断の軸がぶれる問題があります、一方、後者はちょうどメリット、デメリットが逆転、つまり製品やサービスの方向性がぶれない判断をすることができるメリットとして挙がります。この判断はその製品やサービスが好きで使っているユーザーサイド側だけでなく、製品やサービスを提供する側にも受け入れやすいという副産物があります。

この「将軍が見える景色」で判断する管理職、またはリーダーがトップにいる組織は本当幸せですね。

たまには洗おうバックパック

今週のお題「最近洗ったもの」

 

最近洗ったのはこちらのバックパック

 

日曜の息子との散歩で毎週使っています。

夏場は肩紐や背当てのメッシュ部分が汗を吸っていそうなので、時々洗おうと思っているが、特にひどい汚れは無いのでいつかやれば良いかと放置してました。しかし、ブログのお題を見て、一念発起して洗うことにしました。

洗う時に使ったのが靴を洗うのに便利なウタマロ石鹸。

上履きの頑固な汚れに強い子持ち主婦(主夫)の味方です。

靴洗い用スポンジにこれをつけて洗面台に水を張ってゴシゴシ。汚れてないと思っても、水がうっすら茶けてくるのを見るとそう見えないだけで汚れていることがよくわかりますね。

数年前、スーパーで買ったパックの肉じゃがでビニールの袋の縛るのが緩かったため、バッグ内に汁が漏れ、醤油風味になった経験がありますが、今回はそんな失敗はしてないので内側は軽くこする程度。

10分くらい手洗いした後、洗濯機で脱水して陰干し。

ポケットが多く乾きにくい構造ですが、さすが盛夏、陰干しでも3時間で乾きました。

 

合皮素材なので綺麗になったかどうかは見た目では判断できませんが、洗い立ては何となく気持ちがいいですね。

 

だったら、もう少し頻繁に洗えよと毎回自問するのですが、それができないのが人間と相田みつを氏みたいな自答を毎回繰り返してますね。

 

まぁ、今の夏は暑さが尋常じゃなく、かなりキツイが、短時間でシャキッと乾き、心もスッキリする洗濯がしやすい季節として良い時期ではありますね。

念願の箱根仙石原のススキ そして第3新東京市

今回は季節外れですが、昨年秋に箱根仙石原へ行ったときの写真です。

 

そもそも実家のある三島市静岡県とはいえ神奈川県箱根町は隣町。自動車で30分も走れば箱根町なので昔からよく行っていたのですが芦ノ湖から南側が多く、北側も大涌谷止まり。仙石原は通り過ぎるくらいだったが、以前からススキを見てみたいと思っていたので今回満を持して訪問することに決定。

コロナ感染が落ち着いたのを見計らい、11月、実家に帰省する途中で立ち寄る計画を実行。すると、東名高速の御殿場付近まで事故で大渋滞。復帰が見込めなかったので厚木から小田原厚木道路を進むコースに。しかし、箱根新道で小田原の麓付近から大渋滞。紅葉シーズンだということを忘れてました。

www.hakone-ashinoko.net

ここで心が折れそうになりましたが初志貫徹。少し遠回りになるが渋滞を回避して芦ノ湖スカイラインを行くことコースを選択。実は学生のころ、距離の割に料金が高いというイメージがあり今まで一度も使ったことがなかったのでここも初めて。カーナビの案内では600円。まぁ、それほどでもないかと小銭を用意しながら、余裕の50代だったがETCが使えない手渡しの料金所で「800円です」。思わず「えっ、800円」と声に。

「そうなんですよ最近値上げしまして、すみませんね。」

50代でも少し躊躇しましたが、千円札を渡しました。

ただし、道路は空いていて、スカイラインの名に恥じない景色の良さに加え適度にコーナーやアップダウンもあり気持ちよく走れます。さすがCMやカーグラフィックなどの新車紹介の試走で使われる道路なだけありますね。

途中、レストハウスフジビューで休憩。この日は残念ながら富士山は見えなかったのですが駐車場に何かのイベントなのか30台以上のAudiがずらりと並んでいたのは壮観でした。Audiに乗っているような人はここの道路の料金はどうとも思ってないのかも。

一方、芦ノ湖はバッチリ。こちらの写真は駒ヶ岳。頂上にあるのはロープウェイの施設ですね。以前、記事に書いたスケート場があったのはここです。

そして南側には

箱根神社の鳥居が見えます。左側は神社そばの湖の縁にある平和の鳥居。右側の鳥居は箱根駅伝の中継で有名な元箱根港そばの第一鳥居ですね。

芦ノ湖スカイラインの湖尻料金所を抜けて5kmくらい北東に進むと、仙石原のススキのスポットに到着です。ススキのシーズン中(9月から11月)は臨時の無料駐車場が開いていたりしますが10分から15分歩くということで、少しでも時間短縮で有料駐車場(500円)を利用しました。と言っても無料駐車場が混雑してなければ往復で10分も得しませんが。

こちらはこの写真の通り、ススキの原の中に一本の道があるだけです。

上から見たGoogle Mapの衛星写真だとよくわかりますが、本当何もありません。

11月下旬だとシーズン終盤でだいぶ穂が落ちていますが、念願のススキを見ることができました。時刻は15:00台でしたが西側に山があるので、あと10分もしたら太陽が隠れるところでした。500円出して有料駐車場を使った意味が若干ありましたね。

黄金色に輝くススキ。この時間帯は最高でしたね。

北側にはススキ原が広がります。草原の中に入ってみたくなりますが、それはNGでしょうね。

帰りにこのスポットのそばにあるローソン箱根仙石高原店に立ち寄ります。

こちらは別名「第三新東京市店」。ここ仙石原はエヴァンゲリオンの舞台、第三新東京市が作られた場所なんですね。

お店の中の冷蔵、冷凍ケースもこんな感じ。この明朝体の「冷凍中」の文字を見るとちょっとテンションあがりますね。

仙石原は箱根の山々に囲まれたカルデラ内にある平地。外部からの侵略に対抗すべく、ここに都市をつくる自然要塞という発想なんですね。実際は空からの襲来が多いのですが。

なお、帰りも芦ノ湖スカイラインを使ったのですが一部区間が車の走行音が「残酷な天使のテーゼ」となるメロディーペーブになっています。制限速度に近いスピードで一定の速度で走ると丁度良く再生させれます。エヴァンゲリオンファンの人は是非これにチャレンジしてみてください。

SF=スペースファンタジー?

今週のお題「SFといえば」

 

SFといえば「スターウォーズ」ですね。

 

当時、スターウォーズはSF大作のと紹介されていたのでSFは「サイエンスフィクション(空想科学)」ではなく「スペースファンタジー」だと勝手に思い込んでいました。

70年代、ロボット関連のSF作品が多かったのですがその多くは宇宙が舞台だったり、または舞台は地球でも宇宙からの侵略者と戦う話が多かったので、ロボットが登場する宇宙モノをSFだと中学生になるまで勘違いしていました。だから、仮面ライダーはSFではないと、ウルトラマンは宇宙が関連するので少しだけSF要素ありと友人と語り合っていました。(今思うとかなり恥ずかしい)

 

話をスターウォーズに戻すと、子供の頃、初めて映画館で見た洋画がスターウォーズエピソード4でした。そこで心奪われたのは空想世界の話なのに圧倒的なリアリティーのある特撮映像。小学1,2年生の頃、再放送でウルトラマンシリーズを見ていましたが、街や飛行機はアップの映像になるとミニチュアだということは一目瞭然でした。しかし、スターウォーズはハンソロの宇宙船や戦闘機のX-WING、そして要塞惑星のデススターの精巧さはミニチュアとは到底思えず、C3POR2D2のロボットも金属でできた「着ぐるみ」ではなく実際に機械で動いていると思っていました。

 

当時の映画館は入れ替え制ではなく途中入場ができ、入った時丁度、ゴミ処理施設で両方の壁が迫ってきて危機的な状況。いきなり手に汗握るシーンに目が釘付けになりました。そのシーンから最後まで見た後、改めて最初から最後まで見ました。後半の展開は分かっていたけど、それでもワクワクしながらスクリーンを凝視。2度目でも最後の爆発シーンまでドキドキしっぱなしでしたね。

 

おそらく高精度のCGに慣れた今の小学生が見たら子供騙しの特撮かもしれませんが、短いながらも積み上げてきた常識を覆すような映像に衝撃を覚えたあの感覚は今でもはっきり覚えています。

今の時代の方がいろんな映画が気軽に見れますが、そんな体験をできた分、当時の小学生の方がある意味幸せなのかもしれませんね。

 

(こちらはアメリカハリウッドのチャイニーズシアターのC3POとR2D2の足跡)