前回の鎌倉散歩の続き。
小動(こゆるぎ)岬の東側には波が穏やかな砂浜が広がっています。
こちらは小動神社のそばにある浄泉寺。819年、平安時代初期のころ、空海によって開かれたとか。それほど大きくないですが意外と由緒と歴史がある寺なんですね。
浄泉寺から北東に伸びる細い道を行くと江ノ電の線路と交差します。
大きくカーブする江ノ電。車両が小さいからこそ、こんな急カーブが可能なんですね。
踏切では目前を電車が走ります。
踏切前の急な石段を上ると、
満福寺に到着します。江ノ電の車両が踏切を通過する風景は風情があります。
こちらが満福寺本殿。
この左にある石像は源義経と弁慶。平家を倒し人気急上昇した弟義経は兄頼朝が嫉妬し出禁としたため、鎌倉を目の前にして滞留することに。そこで兄に向けて、俺は兄者のために敵を倒したのに。俺を貶めようとして悪口を言う周りの人は信じるなよ。確かに俺、調子に乗って朝廷から偉い官位をもらったが、それはスマソ、許してくれよという手紙「腰越状」を書いたのがここ満福寺だ。(書いたのは弁慶?)
この腰越状の話は高校の古文の授業でたまに出てくる吾妻鏡にあるので知っている人も多いのでは。
右側には慈悲観音の像があります。
こちらはぼけ封じのご利益があるお地蔵様と笛供養の石碑。
還暦の赤ちゃんちゃんこを着るおじいさんを思い出す風貌の地蔵様。
笛供養は珍しいですが、横笛の名手であった源義経ゆかりの寺ということで、このような供養碑があるみたいですね。
絵馬はアマビエと宇賀神様。宇賀神様は相変わらずファンキーなデザインですね。
こちらは弁慶の手玉石。流石にこれをお手玉してたとは思えませんが、この形と大きさの石を見て弁慶がお手玉したかもという妄想が伝説になったかもしれませんね。
寺の御手洗いの看板の向こうにあるのは、
義経公ゆかりの手洗いの井戸。
もちろんここはトイレではなく普通の井戸。何かのエピソードがあるわけではなさそうで、おそらく義経公がここにいたころからあり、後の人々が義経様も手を洗っただろうと盛り上がった井戸なんでしょうね。
このお手洗いの横には七里ヶ浜霊園に繋がるトンネルがあります。
トンネルの中にはこんな絵が描かれています。
トンネルを抜け、霊園に行くと、こんな眺めを見ることができます。
この景色を湘南のアマルフィー(イタリア南部の海岸)と呼ぶ人がいるとかいないとか。
そしてなぜか二頭のライオンと女神の像。
うーん、どこの国かわからない景色。
(つづく)