今回は麹町周辺散歩。
と言っても下車したのは東京メトロ半蔵門線、南北線の永田町駅。この辺りは地下鉄駅の密度が濃く、全然路線の違う赤坂見附駅や麴町駅まで徒歩5分もかからなかったり、上京したばかりのころは東京スゲーと意味なく乗り換えてみたりしましたね。
こちらは永田町駅出口から徒歩1、2分の場所、江戸城弁慶濠の脇にある東京ガーデンテラス紀尾井町。

ビル上部の北側が欠けているのが特徴的ですね。ここは4年前の記事でも紹介してますが元々は赤坂プリンスホテル。バブル時代、ここ通称「赤プリ」でクリスマスイブをカップルで過ごすのが当時の若者の夢なんて話もありましたが、こんな世界とは縁のない地方大学生の自分は一泊5万円とか馬鹿だなと友人と言い合ったのですが少し憧れがあったのかも。

訪ねるたびにシックなデザインのビルに合わないこのオブジェの写真撮っちゃうけど、何かバブルの残り香を感じているのかも。

以前訪ねた時は工事中で見れなかった清水谷公園。紀州徳川家と彦根藩井伊家の屋敷の境に清水が沸いていて、この辺りを清水谷と呼んでいたそうだ。

この時は水が流れていなかったのですが井戸が復元されています。

この公園にはこんな石碑も。ここは明治時代、政府に不満があった士族たちが当時内務卿だった大久保利通を殺害した「紀尾井坂の変」があった場所になります。漫画「るろうに剣心」にも出てきたあの事件ですね。不平を持った士族が起こした西南戦争が終わり、その翌年に起きたこの事件。ある意味、武士の時代に終止符となる事件ですね。

この公園の前にある建物には高級ブランドのショップが入っています。

ここの背後にあるのはホテルニューオータニですね。バブル時代、なぜ赤プリに来るかと思ったが、このあたりでハイブランドの洋服やジュエリーを買ってクリスマスプレゼントとして渡すとかだったんでしょうか?


次に有楽町線の麹町駅の方に行くとこの道路の通りは「日テレ通り」です。日テレと言えば今や「汐留」ですが以前は麹町にありました。昭和世代にとっては「東京都麹町郵便局私書箱〇〇号」という住所が懐かしいです。eメールのない時代、テレビ局へのプレゼント応募等は全て手書きの葉書でしたからね。

今でも日本テレビ番町スタジオとして残っていて『世界の果てまでイッテQ!』等のバラエティの収録に使われているようです。

0に斜線のお馴染みのロゴが入ったロケカーも停まっています。

また、近くの日テレ再開発地区には開発が始まるまでの期間限定ですが「No.4」という名のカフェがあります。ここの町名が四番町というのが由来でしょうけど日テレの4でもありますね。

日テレ通りから交差する番町文人通りを行くと見えるのが毎年東大入学者を輩出している女子御三家の一つである女子学院の中学、高校があります。

この学校の前には与謝野鉄幹・晶子の旧住居跡があります。

また、その先で交差する五味坂沿いには


滝廉太郎の住居跡地があります。


今では番町と言えば高級住宅地の代名詞ですが、昔からもう少し庶民的だが文化人が集まりやすい静かな良い街だったんでしょうね。