以前アップした小説の作品解説(ネタバレあり)パート3です。
-前編- https://dad-aslan.hatenablog.com/entry/20220125
-後編- https://dad-aslan.hatenablog.com/entry/20220126
-解説1- https://dad-aslan.hatenablog.com/entry/20220201
-解説2- https://dad-aslan.hatenablog.com/entry/20220208
今回の小説の構想を考えている時、昔よくあったアンドロイド(ロボット)は不死であるというテーマについても思考を巡らせてみました。
昔、アンドロイドはコンピュータの一種と考え、壊れた部品が交換でき、記憶データが保存、読み出しができれば永久に生きられるのではと思われていたが、IT社会と呼ばれて数十年たった現在に改めて考えると不可能ではないが、結構大変だということがわかりましたね。
記憶データに関しては何とかなりそうですが、部品の交換に関してはかなり厳しいですね。ひとつの部品を同じ設計、同じ材料、同じ手法、装置で10年以上も作りつづけるなんて、ほとんどないですから。多くの電子部品関連は数年も経てば、似たような部品で古い部品と互換性を持たせた新製品に差し替わります。互換性も1、2世代前は対応していても3世代前となると使えなかったりします。
特にCPUは8bit→16bit→32bit→64bitと変わって行くとアーキテクト(構造)も大きく変わり、どんなにがんばっても似たような処理はできても、同一の演算処理はほぼほぼできないでしょうね。無尽蔵に時間とお金(人)をかければ再現できるかもしれませんが。ちなみに昔電力関連の装置開発の仕事をしていたとき、保証期間が15年とか長かったのでCPUや各種電子部品は交換用で大量に買いだめしてました。
少し脱線しましたが、つまり厳密な不死は難しいということですね。
それでも当時の物を現在の部品で再現する「緩やかな不死」なら可能です。
しかし、アンドロイド自身は果たして不死を望むだろうか?
これについては別問題なのかもしれない。
そして個人的な見解はYesでもあり、Noでもあるかなと。
例えば、邪馬台国はどこにあったのか解明したい、二極化する日本の行く末を見てみたいとか壮大なモノから、消しゴムはんこアートを極めてみたい、サザエさんの最終回を見てみたいという小さなものまで容易に達成できない目標に強い思い入れがあると不死を願うようアンドロイドもいるだろうが、90歳を超えるとある程度やることはやったので、そろそろお迎えが来てほしいという気持ちを持つアンドロイドもいるだろう。学習の基になっているのが人間である以上、そこは分かれそうですね。
ただし、生身の人間は80歳を超えると多くが身体的にいろいろ不具合を抱えてくるので不死を望まない人が多くなるかも。この辺りは替えのきく部品があるアンドロイドとは事情が異なりそうです。一方、前述のように部品が生産中止になったり、フル互換でない代替え部品との相性が悪く人間のように体調の悪さから憂鬱になる可能性もありそうですね。
今回の小説でアンドロイド出木杉君は本編では語られていませんが、時にボディを全交換する形で30年以上生き、のび太と共に人工知能を中心に各方面のサイエンスの研究活動を行い、最終的にはとある研究所の所長を務める「人物」になったことはかなり満足感がある人生を送れたと思います。それでも親のように慕ってくれたのび太としずかちゃんが共に60代でこの世を去ったのは少し心残りがあったのかもしれません。そんな心残りがもう一度彼らに会うために彼自身がタイムマシンで過去に行く決断をさせたと考えています。
と、解説というか、あとがきという感じですが、本編より長くなってしまいました。
今回は二次創作でしたが次はオリジナルがんばります。